2009年06月21日

新聞販売店の問題点

新聞宅配契約は販売店が独自にやる場合と「拡張団」と呼ばれるセールスマンが行う場合がある。拡張団は販売店とは異なる独立した存在で、新聞契約を販売店に買い取ってもらうことで利益を得る。しばしば拡張団の暴力的な勧誘が問題視される(悪質な勧誘の対策についは新聞拡張団を参照)。

新聞販売店にとっては、地元に根ざしているために強引な勧誘がやり辛い身内の社員よりもよそから来た拡張団の営業力に頼らざるを得ない面もある。これは後述するノルマ達成と現状維持のためという面が大きく、部数の逼迫した状況では社員よりも遥かに高額のカード料(新聞契約カードと引き替えに拡張団へ支払う報酬)を負担して拡張団に頼る事になる。しかし、そのような状況下で強引に契約を行った購読者は以下の理由により将来的に購読者として定着することはかなり少ない。
アジアの美術
よの付く言葉
スポーツのあゆみ
くの付く言葉
名犬マルチーズ
雨模様
猫ニャン
柴犬について
生命の誕生
りんごのほっぺ
版画
オークション
映画館
射撃
応用数学
トリックアート
証券取引所
乗馬
高血圧症
ゲートボール

高額な拡材(新聞宅配契約と引き替えに購読者へ渡すサービス品)目当てで契約した。
強引さに押されて渋々契約した。
騙されて契約した(いつでも購読を止められる、後からいくらでも拡材を持ってくるなど)。
拡張団が全額または一部購読料を負担する、無料だからと言われて契約した。
連日に渡り拡張団の営業力に依存して部数を維持しても、それは高いコストを掛けた見かけ上の部数維持にしかならない。しかし、販売店としては部数の低下を防ぐために拡張団に頼り続けるという悪循環になっている。

また、販売店が受け持った地域の購読者が拡張団が提示する好条件の契約に慣れてくると最早販売店の社員では対応していくのが困難となってしまい、購読者にとっては都合が良くとも販売店にとっては経営維持が苦しい状況となる。

2009年06月03日

投資と利子率

利子率(金利)が低下すると投資は拡大する。利子率の低下により低コストで資金を調達して、収益率(投資の限界効率)が低いと見こまれる投資を行っても採算が合うものと期待されるからである。また期待物価率の上昇によって実質利子率が低下することも拡大要因となる。 なお貨幣発行体である中央銀行は、貨幣供給の操作によって利子率を誘導する事ができる。これにより、民間投資を促したり、物価上昇を抑えるなど、経済の安定的発展を目指した金融政策を実施することができる。

ケインズでは、投資は追加投資で見こまれる利潤率(資本の限界効率)が利子率に一致するまで行われるとされる。

生産性を引き上げるための投資は、物的な資本に対してだけでなく、人的資本に対しても行われる。将来自分の利益になるようにお金をかける教育投資はその一例である。また、子への教育投資は、受益者と負担者が異なる特別な投資である。ほかには技術開発に対する投資などがある。

投資の歴史は、リスクや期待の歴史である。

18世紀、江戸幕府の重臣田沼意次は新田開発投資を行い生産力を増大させた。

19世紀初頭、ロスチャイルド家はワーテルローの戦いで情報を活用し金融投資で巨利を挙げた。
仏壇 健康 特産品 家庭教師 食品 語学 旅行 バスト 特産物 ダイエット 増客対策 若返り 行政書士 キャッシング 生活習慣病 子育て わきが 雑貨 学習指導 サプリ 音楽 スポット インプラント 交通地図 美容 賃貸 興信所 SEM促進 生命 アロマ 冠婚 美容整形 わきが 飲料水 楽器教室 癒し 学校 水族館 理容 プチ整形 ダイエット 資産運用 警備 わきが レストラン アロマ おもちゃ スクール 化粧品 学習

19世紀半ば移行、アメリカでは躍進する国勢を背景に、大陸横断鉄道建設ブームが起きた。アメリカはこれにより経常赤字を計上するほどだった。その後、鉄道会社は再編されることになったが、東西両岸を強く結ぶ効果を発揮した。

19世紀後半、日本は学制により初等教育普及に着手。瞬く間に全国を網羅する教育網が作られ、列強へのキャッチアップに大きく貢献した。

20世紀初頭、列強各国は制海権を維持・拡大するために積極的に戦艦を建造した。

アメリカでは、虚偽の情報によって投資者が損害を被ったときは証券取引委員会(SEC)が主体となって、損害を与えた企業や証券会社に対して賠償を命じる権限を持っている(投資額の少ない個人から順番に救済するシステム)。

一方日本では、民事訴訟で勝訴するしか救済される手段がない(訴訟するにしても、弁護士費用や申立手数料など多額の費用がかかるので現実には泣き寝入りの人が多い)ので問題になっている。

2009年04月30日

愛国者兵はその成功

愛国者兵はその成功に衝撃を受けていた。両軍が交戦し戦死者を出すことを考えていた者はいなかった。前進する者もあれば後退する者も多くおり、ある者は家に帰って家や家族の安全を確認した。バーレットは部隊の支配を取り戻し、兵士を分けることにした。バーレットは後方300ヤードの丘の上に民兵を戻し、一方バットリックにも民兵を付けて橋を越え石の壁がある丘で防御の態勢を取らせた。

イギリス軍遠征隊の指揮官スミスは、町の中にあってローリーからの援軍要請を受けた直後に銃声を聞いた。スミスは擲弾兵2個中隊を集合させ、自ら率いてオールド・ノース・ブリッジに向かった。その途上で、3個中隊の兵士がばらばらにこちらへ走って来るのに出会った。スミスはバーレットの部隊に対応させた4個中隊が心配だった。いまや安全に帰還する道は閉ざされていた。この時スミスは遠方の壁の背後にいる民兵を見つけ、中隊を停止させて士官だけで様子を見るために敵に接近した。

壁の背後にいた民兵の証言では、「もし我々が前に出てきた士官達に発砲していたら全員を射殺できたと思う。しかし攻撃の命令は出されず、発砲はなかった」。この緊張状態が10分間ほど続き、精神的に病んでいたある兵士はリンゴ酒を売っているのではないかと思った。スミスは擲弾兵を連れて町に戻り、残る4個中隊にとって最善の策を採ろうとした。

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これらの部隊は何が起こったかを理解できないまま、バーレットの農場の捜索から何も得られず戻ってきた。バーレットの部隊の下を過ぎ、先ほどの戦場に来てみると、橋の上では僚友達が死んだ者も傷ついた者も倒れたままであり、中の一人は頭皮を剥がされているように見えたので、イギリス兵の間に怒りと衝撃が走った。更に進んで橋を渡り、バットリックの民兵の下も無事に通過した。正規兵達は午前10時30分には町に帰還した。小さな戦闘後であってもまた数的に勝っていても、植民地の者達は撃たれなければこちらからは発砲しなかった。この時点ではイギリス兵も愛国者達を刺激するようなことはしなかった。イギリス軍は町中の軍事的なものの破壊を続け、昼食を摂り、隊列を組み直すと正午過ぎにはコンコードを離れた。

2009年04月15日

恐らく最も有名な例

恐らく最も有名な例が、韓国人が主張する、剣道、剣術、侍、武士道の韓国起源説である。
剣道は日韓併合時代に日本から韓国に伝わった日本文化であり、韓国ではテコンドーと並ぶ人気武道である。日本の剣道との差は蹲踞(そんきょ)がないことや袴の色や形程度のものなのであるが、韓国最大の剣道団体である『大韓剣道會(Korean Kumdo Association)』や『世界剣道協会(World Kumdo Association)』がその公式ホームページ等で、剣道の起源が韓国にあると主張しており[36]、『国際剣道連盟(International Kendo Federation)』に参加していながらも、その正式名称は『剣道』ではなく剣道の朝鮮語音の『コムド(kumdo)』であると主張し、剣道の真の宗主国として当然であると主張している[37]。この剣道韓国起源説はインターネットの発展に伴い日本のネット社会の中で爆発的に広まるようになり、反論するサイトや『全日本剣道連盟』に反論を呼びかる運動が広まり[38][39]、全日本剣道連盟がその公式ホームページにおいてわざわざ否定する文章を掲載しなければならないまでに普及した[40]。海外では『剣道』と『コムド』の「他流試合」が行われることもあるほど、このような主張が普及している。

また、韓国系移民が中心となり、米国を始めとした世界各国で『コムド』道場を開き、古代から伝わる韓国の武道として積極的に広報活動をしている。このような道場では、日本の袴や日本刀を用いて、日本の剣術やそれを改変したものを「韓国古来の武術」(korean martial arts)として『コムド』と同時に教えている場合もある。(例:Sung Moo Kwan Kendo Academy 聖武館剣道アカデミー、アイオワ大学コムドクラブ等 )。

一方、『大韓剣道會』と対立する『世界海東コムド連盟(World Haidong Gumdo Federation)』[41]や『統合世界海東コムド連盟(United World Haedong Kumdo Federation)』[42]は、『海東コムド(Haidong Gumdo)』が剣道の起源であると主張している。彼らは、侍や武士道の起源は高句麗の「士武郎(サムラン)」にあると主張しているが、韓国内で裁判が行われた結果、士武郎起源説は捏造であったことが発覚している[43]。

2001年に日韓合作で、侍の起源を百済に求める映画『サウラビ』(朝鮮語で「ssaul-abi(戦う男)」を意味する)が製作され、韓国で公開された[44]。朝鮮日報は映画『サウラビ』を「三国時代、百済人が日本を開拓して文物伝播した歴史的事実を土台に、サウラビの魂が日本の侍精神に発展したという前提が込められている」と、侍の韓国起源説を歴史的事実として紹介した[45][46]。また、本作の制作発表会においてムン・ジョングム監督は「韓民族の魂と精神を再照明し、韓国人が忘れていた民族の優越性と民族意識を覚醒させることに焦点を合わせる」と発言をし、「侍」という日本文化を剽窃するばかりでなく、韓国文化の優越性にまで言及した[47]。なお、日本ではそのあまりにでたらめな歴史描写のために劇場公開はされなかった(DVD化のみされた)。ちなみに侍の正しい語源は日本語の動詞「サブラフ」である。

また在米韓国系移民たちを中心とした別のグループが、「新羅の『花郎(ファラン・Hwarang)』は1800年前から存在した古代韓国の戦士であり、この戦士が使った武術を『花郎道・ファランド・Hwa Rang Do』である」と主張して、道場を開いて、日本の伝統武術を改変したものを「古来韓国武術」として教えている[48]。彼らは「すべての日本の武術の起源は朝鮮半島にある」と主張をし、その主張に沿った武術の系譜を公開しているThe Lineage of The Korean Martial Arts 。

しかし、侍というのは、律令制が崩壊した10世紀以降に、新式の武芸を身につけて領地経営者や軍事専門家として活躍し始めた軍事貴族や下級役人等が発祥であり、12世紀以降に幕府という軍事政権を開いて封建制により日本を支配した戦士階級の「武士」のことである。一方、朝鮮半島には封建制は存在せず、律令官制の中で訓練を受けた常勤の役人の「武官」や「武人」はいても、侍のような「武士」は存在せず、侍は明確に日本社会でのみ発生したものである。「武術」は、この封建時代の侍の存在から誕生したものであり、剣道などの「武道」は近代になってから「武術」を心身教育のために一般化したものである。日本の武術や武道の発祥についてはほとんど記録が残っている一方で、侍や武術の韓国起源説の根拠となる文献記録や考古学記録は一切存在せず、花郎が軍事組織だったという説も完全に否定されている。また現代の韓国の武道家が使用する衣服や刀や作法も、すべて日韓併合以降に日本の武道を模倣したものである。

日本刀 韓国系移民が運営する世界各地の武術(道場などで韓国古来の剣として使用している。また、刀剣職人のホン・ソッキョンらが、「日本刀はまさにこの技術を我が国から盗み出して伝承している」、「我が国の刀剣技術は三国時代と朝鮮時代、日帝時代を経ながら、刀剣職人がほとんど日本に連行されてしまった」、「元々、我が国の伝統刀剣製作技術は世界的なものであり、刀剣技術者を無差別に捕えて連れ行ったことはよく知られた事実だ」、「日本には我が国が使った正統技術がそのまま伝授されていて、今でも良い刀がたくさん出てきています。たまに、韓日交流剣道大会に出てみると、試し切りの演武では我々の刀がはるかによく切れます。」などと主張。「韓国刀の原型を取り戻すために日本に学びにいく」とまで主張している[49]。
しかし、韓国で伝統的に使われた剣は、鉄鉱石から鋳造で作った、両刃の直剣か「環刀」と呼ばれる片刃の直刀で、製造方法も形状も日本刀とは全く異なる。韓国で大々的に日本刀のような形をした刀が使われるようになったのは、17世紀秀吉の朝鮮出兵以降のことであり、当初は日本刀を輸入して模倣したものを「倭刀」と呼んでいた。またそれ以降朝鮮半島で作られた刀も日本刀と製作方法が完全に異なっている。韓国の歴史映画やドラマなどで日本刀のような刀が登場することがあるが時代考証としては完全に間違いである。

現在世界中で知られている「日本刀」は、砂鉄からたたら吹きにより取り出した玉鋼を鍛造して作った、緩い湾曲の形状を持つものであり、10世紀の平安時代後期に「太刀」で初めて出現したものである。なお刀工の各流派が出現し始めたのもこの頃である。また、現在の剣術家が使用する刃を上に向けて納刀する「打刀」の形式は15世紀の室町時代後期になって普及し始めたものである[50]。ちなみに、日本刀の持つ美術的、戦闘的に優れた資質は、11世紀の北宋の詩人の欧陽修の『日本刀歌』でも歌われていて、中国にも輸出されている。

倭刀および韓国刀も

居合道
抜刀術 韓国古代の武術「Guhapdo」として世界各地で道場を開いて広報活動をしている。正統武芸道場 正気館のイム・ヒョンス(林鉉洙)が「我々はいままで多くの物を日本に奪われました。今は我々の物を取り戻すべき時だと思います。居合道も高麗時代日本に渡っていった我々の剣術に過ぎません 我が国には新羅時代の花郎徒以前にも居合道という武術がありました。日本が国宝にしている七支刀も実際は百済の刀です。」と主張している[51]。
しかし、居合(抜刀術)は室町時代に本格的に体系化されたものであり、居合道は明治時代末期になってから「武術」を「武道」化したものである。七支刀は儀礼用のものであり剣術とは関係がない。

柔道 剣道と同じように日韓併合時代に日本から韓国に伝わった日本文化であるが、Yudo(「ユド」と発音。柔道の朝鮮語音)の名で海外で普及活動が行われており、全米ユド協会(United States Yudo Association)はその公式ホームページにおいて、柔道の起源を朝鮮半島にあるとし、「柔道は豊臣秀吉の朝鮮出兵で日本に伝わりその後朝鮮半島では柔道は廃れ、20世紀になって日本から再輸入された」と主張している[52]。また、韓国の釜山で開催された2002年アジア競技大会では、韓国人で構成される大会組織委員会が、公式サイトに韓・日・中・英の4ヶ国語で「柔道の起源は中国の春秋時代に生まれた柔術で、これが韓国に伝わり、豊臣秀吉の朝鮮出兵で日本に伝わった」と記述し、全日本柔道連盟が抗議し記述を削除させる事態が発生している[53]。さらにアテネオリンピックの柔道73キロ級金メダリストである李元熹(イ・ウォンヒ)選手は韓国の京郷新聞のインタビューに答えて、「日本が柔道宗主国だと言いますが、本当は我が国の柔術(ユスル)を日本で細分化させてスポーツにしたんです。」と発言をし、韓国人有名柔道選手までもが韓国起源説を支持している[54]。
しかし、実際には柔道の基である柔術の発祥は秀吉の朝鮮出兵よりも前に遡ることが出来、柔道は嘉納治五郎により創設されたものである。このような柔道韓国起源説に対して全柔連教育普及委員長、講道館資料館部長は否定コメントを出している[55]。

合気道
大東流合気柔術 正統武芸道場 正気館が「合気道は日本に移民した新羅人であるウォン・ウイグァン、別名新羅三郎(源義光)が興した大東流柔術が始まり」と主張している[56][57][58]。また、世界ハプキドー協会は「現代合気道(ハプキドー)のような武道技術はAD372年の高句麗への仏教の伝来と共に古代朝鮮に伝えられた。その証拠はその時期の古代壁画及び洞窟絵画、彫刻から見出すことができる」と主張し(韓国起源説では、古代壁画を持ち出して起源主張するものが多い)、これらの朝鮮武道で文禄・慶長の役の時に日本兵を撃退したと主張している。さらに、もともと朝鮮半島にあった合気道は日本の植民地統治時代に抹殺された等と主張している[59][60]。また、米国などでがHwa Rang Do道場を運営している韓国系移民が、「日本へ移民した新羅人である新羅三郎(源義光)が創めた大東流柔術は、その末裔である武田惣角まで伝えられ、彼が日韓併合時代に崔龍述(チェ・ヨンス)に伝授したことにより、大東流柔術が復活をし、ファランド(Hwa Rang Do)等と混じってハプキドーに発展した。つまり合気道とハプキドーは兄弟の関係である。」と主張している[61]。さらに、「合気道」という名称は崔またはその弟子の池漢載が創案したと主張している。
ハプキドーも参照

しかし、始祖とされている源義光は11世紀の日本の武士で、4世紀から7世紀に存在した新羅の人物ではない。新羅神社で元服したから「新羅三郎」を名乗ったのであって「ウォン・ウイグァン」は源義光の朝鮮読みであり、大東流合気柔術は明確に日本で発祥したものである。また、「合気道」の語源は、大東流の教授代理で合気道の創始者である植芝盛平が出口王仁三郎の命名により1922年頃から自らの武術を「合気武道」と呼称し内外に教授し始めたのが始まりである。さらに、「合気道」は1942年に財団法人大日本武徳会が使い始めたものであり、植芝が「合気道」を使い始めたのは1948年である。

ハプキドーは、戦前に日本で大東流を修行をしていた朝鮮人の崔龍述(チェ・ヨンス)が、戦後に大東流を朝鮮古来の武術であると主張して指導を開始したのが始まりであり、崔の弟子が大東流を韓国人の気質に合わせて改変して現在のハプキドーの形にさせたものである。これを裏付ける事実として、大東流関係者に対する各種インタビューなどで戦前の大東流の修行者に複数の朝鮮人青年がいたことが明らかにされている。

道の精神 大韓柔道有段者会のヨ・サンファン会長が「柔道の発祥地は日本だが、『道』の精神は韓国から渡ったもの」と主張している[62]。
しかし日本の「道」とは「芸道」のことであり、中国の「道」(タオ)の哲学とは別物である。日本の「道」の精神とは、実演者の日常生活における立ち居振る舞いと、専門的な技術的修練を同一とみなし、双方の向上により、実演者の人格と技芸を相乗効果的に高めることを目指したものであり、日本独自に発展体系化したものである。日本の「道」の精神は、中世期の秘伝説と伝授思想の確立と、師系を重んじる禅の発想に影響を受けているともいわれている。剣道、柔道、合気道、茶道、華道、香道、書道のほか、「道」の文字の付かない能楽、歌舞伎、人形浄瑠璃、邦楽でも同じ観念が見られる。

空手 韓国では、テコンドーの起源は三国時代以前から始まるテッキョンであると公式に認定されており、海外でも「韓国古来の武道」として普及に努めている。また、日韓併合時代にテッキョンが抹殺されたが、韓国がテコンドーとして復活させたとまで主張している[63]。さらに韓国の一部には空手の起源をテッキョンに求める言説すらあり、韓国の釜山で開催された2002年アジア競技大会では、韓国人で構成される大会組織委員会が、公式サイトに韓・日・中・英の4ヶ国語で「空手の起源はインドで唐の時代に中国と韓国に伝わり、その後韓国が日本に伝えた」と記述し日本側が抗議するという事態が発生した。日本側の抗議に対し同時に記述された「柔道韓国起源説」は削除されたが「空手韓国起源説」は結局削除されることはなかった。[64]。
しかし、空手は琉球から日本本土に伝わったもので、テコンドーは戦後に空手を参考にして新たに作られたものである。また、韓国が国技院副院長が明らかにしたところによると、「テコンドーの起源を三国時代以前とすることが一般的だが、 歴史的想像力を動員してもそれには無理がある。中国から日本へ入り、日本が改良して韓国へ入ってきた。テコンドーは空手の変形である。私も創始期にはテコンドーの起源をテッキョンとして本を執筆したことがあるが、海外に普及させる過程で昔からあった韓国の伝統武術だとすれば名分が立つからである。」と告白している。 更にこの記事では「空手から派生したテコンドーだが、蹴りを主眼に置いて競技化したことで、型や手動作に重きを置いた空手の陰から脱した」とも述べている[65]。

相撲 中央日報が、日韓文化交流を紹介する中で、韓国シルム連盟関係幹部の「日本相撲協会は相撲の本流である韓国シルムへの待遇がなっていない」との心境を紹介し、相撲の起源をシルムとして紹介した。
コムドと違い、シルムは日本の相撲から発生したものではないが、日本の相撲の起源という証拠はない[66]。(中央日報、2004年2月16日)また、歴史書である三国史記・三国遺事・高麗史・高麗史堤綱・高麗史節要・朝鮮王朝実録の原文には、シルムに関する記載が無い[要出典]。

忍術
忍者 韓国系移民がイタリアで運営する「スルサ道場」が、新羅軍の「花郎」の中にある特殊部隊「スルサ」が忍者の起源であると主張している。この中で「幾人かのスルサ戦士が日本に亡命し、日本の忍者の理論にアイデアを提供した」「スルサドーを含むすべての韓国マーシャルアーツに見られる瞑想テクニックは、日本の忍術の秘技のなかに残っている。」「日本のマーシャルアーツは太平洋戦争でいち早く有名になっただけ」と主張している[67]。また、ファッション評論家の金硝子が、人気アニメ「美少女戦士セーラームーン」の話題の中で、日本の創作話の中に「変身」が多く登場することに言及し、日本人が頻繁に「変身」を創作話の中でモチーフにするのは、11世紀から18世紀にかけて日本で盛んであった忍術に起源があると主張し、さらにその忍術は、7世紀に高句麗を通じて日本に伝わったものであり、日韓両国でセーラームーンが人気があるのは、この歴史的な背景によるものであると主張している[68]。
茶道 韓国の複数の茶道家が、日本の茶道の道具や作法を模倣して朝鮮風にアレンジしたものを韓国茶道として世界中に紹介している[69][70]。また朝鮮新報は「茶においては1千年前の新羅の時代の礼法がほとんどそのまま日本に取り入れられた」とまで主張している[71]。
茶を飲む習慣は遣唐使により中国から伝えられたものという説が有力であり、茶を飲む行為を哲学や教養や総合芸術にまで高めた茶道という文化は室町時代に体系化した日本起源のものであり、韓国の「茶禮(タレ)」とは全く関係がない。

華道 ヤフーコリアが「生け花」の項目で、朝鮮半島には土着文化の一形式として原始的生け花が存在し、仏教伝来と同時に生け花の一様式が百済に伝来し、それが日本に伝わり、その後朝鮮半島独自の生け花は日帝(日本による朝鮮半島支配)により抹殺されと主張している[72]。
花を愛でる行為は有史以前からある人類共有の行為であり、生け花は室町時代に日本で本格的に体系化したものでる。「朝鮮半島の原始的生け花」「日帝による抹殺」という主張も文献資料や考古学資料による裏づけが一切存在しなく根拠不明。

万葉集
万葉仮名 李寧煕(イ・ヨンヒ)なる人物が、「もう一つの万葉集」(ISBN 4163435603)なる本を出版し主張している。また韓国の東亜日報においては、「7世紀頃の万葉仮名は元々古代韓国で使われたものだったのみならず韓半島から帰化した人々によって考案された。このかな文字は後に韓国では消えた。」[73]と主張をしているが、その主張を裏付ける歴史的根拠は不明である。
万葉集は複数の編者によって編纂され、最終的に大伴家持が完成させたものである。

片仮名 鄭ジェヨン・韓国技術教育大学教授と小林芳規(こばやし・よしのり)広島大学名誉教授の共同研究によると片仮名は新羅の口訣が起源であり、東大寺諷誦文稿にそれを見ることができるという。[74]
東洲斎写楽 李寧煕(イ・ヨンヒ)なる人物が、「もうひとりの写楽―海を渡ってきた李朝絵師」(ISBN 4309902774)なる本を出版し、写楽は朝鮮通信使だった。そして、十返舎一九の父親もまた李朝の高官だった、などと主張している。また、韓国では檀園・金弘道と写楽が同一人物であるという説もある。映画化の話も持ち上がっている[75]。
源義経がチンギス・ハーンだというのと同じ程度の主張。斎藤十郎兵衛が写楽であるという説が最も有力である。

和歌 韓国で唯一の和歌詩人の孫戸妍が「和歌は新羅(シルラ)の郷歌が起源」と主張している。[76]。主張を裏付ける文献資料も存在せず根拠不明。
折り紙 一部の在米韓国人の女性グループが「折り紙はもともと韓国(朝鮮)で作り出されたもので、日韓統治時代に日本人が自分たちの文化と偽って世界に広めた」と主張し、現地で折り紙教室を開いている[77]。また、社団法人韓国折り紙協会は、起源については明確に言及しないものの、「日本の植民地時代に日本は韓国の文化を全面的に抹殺し、韓国の伝統的折り紙文化も排斥した。」と主張し、日本とは別の折り紙文化が朝鮮半島に存在したと主張している[78]。また協会では検定制度により指導師を養成し、さらに、日本の折り紙を模倣したものを「韓国の伝統的折り紙」と称して世界各地で宣伝し普及活動をしている[79]。
しかし、朝鮮半島には儒教祭祀で使われる折った紙の造形物は存在したが、日本のような多種多様な対象物を紙で折る「遊び」の折り紙文化は存在せず、祭祀で使われる造形物の様式も日本の伝統的折り紙とは全く異なるものであり、これらの主張はあきらかに事実無根である。

歌舞伎 朝鮮日報が百済技楽の復原運動を紹介する記事の中で歌舞伎の起源を百済技楽としている[80]。またその復原運動を紹介した記事の2年後の2008年には、「百済文化の優秀性を知らせるため」として、百済伎楽伝承保存会が、パリで行われる在仏韓国人会主催の『2008中秋祭』で公演を行うことになり、ロンドンでもユーロジャーナル社主催で百済伎楽が披露されることになった。百済伎楽伝承保存会は「百済伎楽は西紀612年(百済武王13年)百済人ミマジによって日本の聖徳太子に伝えられた後、日本の舞楽、歌舞伎等の母胎となった」、「アジア仮面劇の源流は日本と思っている大部分の在欧韓人と欧州人たちに仮面劇の母胎が百済時代に起因したものだということを知らせる。」と主張している[81]。
しかし、いまだに百済技楽自体の詳細は全く不明であり公演されるものも現代の創作仮面劇である。7世紀に滅びた百済の全く詳細が不明な伎楽と、17世紀に発祥し隆盛を極めた江戸時代の文化である歌舞伎とを結び付けて起源を考えるのは無理がある。

祭り
神輿
わっしょい
葦原中国
至る 京日大総長の李南教が、日本の祭りの起源は、渡来人が死を覚悟した航海の後に日本の大阪近辺に無事たどり着いた喜びを皆で共有するために行った儀式の「団地里」が始まりであると主張している。また、日本の祭りの掛け声の「わっしょい」の起源は、無事にたどり着いたという歓喜の声を表した「来た」という意味の韓国語「ワッソ」であり、神輿の起源も「死の航海を超えやってきた」ことから韓国で棺として使った「喪輿」であり、これが無事にたどり着いた喜びの「神輿」に変化したものであると主張している。さらに古代日本を指す葦原中国(あしばらのなかつくに)という呼称の語源も古代韓国語であると主張しており、葦(あし)は、日本語の始まりの音である「あ」と古代韓国語の「セ」(新しい)を組み合わせたあとにあセ⇒あシと変化したもので、原(ばら)は韓国語の「ポル」(原野)から変化したもので「葦原」とは渡来人が到達した「新しい原野」の意味であると主張している。さらに「死を覚悟して到着すること」を純粋な韓国語では「イルダ」というが古代語では「イダル」であり、これが日本語の「至る」となったと主張している[82]。
また、金達寿や金思燁(キムサヨプ)らの複数の在日韓国朝鮮人や韓国人が、祭りのかけ声の「わっしょい」や「祭り」の語源が、百済との交流によりもたらされた古代韓国語の「来た」という意味の「ワッソ」や「マトゥリ」であると主張している[83][84]。これに関連して、在日韓国人らが「古代に先進文物を授けた朝鮮民族とそれを受けた倭人」という図式で、「四天王寺ワッソ」という祭りや「ハナ・マトゥリ」というイベントを開催している[85][86]。

しかし、日本の祭りはあらゆる自然に対する畏敬の念を表し豊穣を祈願したアニミズム、シャーマニズム的要素を持つ神道が起源であり、これに神仏習合の影響を受けて派生して現在知られるような多様な形になったものである。また神輿についても狩猟採集物を備えた祭壇が起源であり、これが農耕の発展により固定化し神社となったという説が一般的である。

また「왔소(ワッソ)」は「오다(オダ)(来る)」という動詞の語幹「오-(オ‐)」に、過去を表す先語末語尾「-았-(‐アッ‐)」と終結語尾「-소(‐ソ)」が連結された形態であり、過去を表す先語末語尾「-았-(‐アッ‐)~-었-(‐オッ‐)」が現れたのは16世紀頃であることから、古代韓国語説の信憑性は皆無である[87][88]。「我背負う」「和を背負う」が転じて「わっしょい」になったという説がある。「だんじり」も「屋台」や祭壇を意味する「壇」を引きずることから「台ずり」「台にじり」「壇ずり」から変化したという説や、山車(だし)が一部方言化したという説、「台尻討った」が起源であるという説などがあり[89]古代韓国語が起源であるという信憑性は皆無である。

そもそも、古代韓国語は全く解明されていなく李南教や金達寿の主張は単なる言葉遊びに等しく科学的根拠は全くない。

神社 世界日報と中央日報が、「日本の神社が古代朝鮮半島の直接的影響を受けて作られ、日本人は今も韓国の神を祭っている」「日本の神社の多くが韓国起源」と主張。高麗神社や飛鳥戸神社といった渡来人を祭っている神社を根拠に神社そのものが朝鮮半島起源であると拡大解釈している [90][91]。
熊本城 日韓交流事業に参加した韓国人学生が 「熊本城は加藤清正の命令で蔚山倭城の築城技術を持った朝鮮人技術者が築城した」と歴史教育を受けていると発言した。日本側にはそのような記録は一切なく根拠不明。韓国の一般学生がこの説に基づいた教育を受けたと証言していることから、ある程度韓国内で信じられている韓国起源説と思われる

約束の橋 チーム 赤ずきん リコニー エジンバラ さくもん コモドド モスリン べにえび エンジン オーリ センデ ジーピー シーアイ マンサク ジュエリー トニック チューナー マンデート シャン だいろ 一千一秒 大人の生活 スキーム エイハラ スラロー ロータリー ティズム シンボル オヤマ ファシリ センタ テラコッタ センシ ツール モチーフ ギョリュ モジュ 中仙道 ひわき ジャッカル ケミストリー ローズウッド トークン 一字千金 地上の星 キャップ リーフ マナスル オーソラ

2009年03月31日

北尾光司

北尾 光司(きたお こうじ、1963年(昭和38年)8月12日 - )は、三重県津市出身で立浪部屋所属の元大相撲力士、元プロレスラー、元総合格闘家、元スポーツ冒険家。現在は大相撲立浪部屋のアドバイザー、ナイフ評論家。第60代横綱・双羽黒 光司(ふたはぐろ こうじ)。
いわゆる「花のサンパチ組」の一人。幕内優勝経験のない唯一の横綱(優勝制度成立後)で、稽古嫌いで知られ、千代の富士のみによる長年の一人横綱状態を打破するために不適格ながら横綱に昇進したとして「仮免横綱」と揶揄された。1987年12月、師匠の立浪親方(関脇・安念山治)との意見の相違などから廃業。

後にスポーツ冒険家、プロレスラー、総合格闘家、実業家と転身した。大相撲現役当時、PC-9801を使うパソコン・マニアとして有名であった。ナイフのコレクターとしても現役時代から知られ、引退後、テレビ番組「開運!なんでも鑑定団」にコレクションを出品した事がある。当時の流行語にあやかって「新人類横綱」とも呼ばれた。

現在は部屋付きアドバイザーという形で角界に出戻りし活動している(但し日本相撲協会所属ではない)。

人物 [編集]

大相撲時代 [編集]
四股名の双羽黒は、「双葉山」と「羽黒山」という、立浪部屋が生み出した2人の大横綱からつけられた。当時の春日野理事長(横綱・栃錦清隆)が名付け親である。しかしこの名前は明らかに不自然で評判が悪く、ある時は「『羽黒』は稽古をしなかった元大関の『若羽黒』から、『双』はその若羽黒以上に稽古をしないという意味だ」と、当時やくみつるの四コママンガで揶揄されたこともあった。また後日相撲雑誌で『第二候補の四股名(緑島)が別に存在し、そちらにしておけばもっと長く活躍できたかもしれない』とも言われている。後に北尾は「『素質の北尾・努力の保志』とレッテルを貼られて、稽古嫌いと言われた事は非常に心外だった。自分は一生懸命強くなろうと努力していたのに、誰も評価してくれなかった」と述べている。

なお「双羽黒」は横綱昇進時に付けられた四股名で、大関時代以前はずっと本名の「北尾」で相撲を取っていた。本人は四股名を付けられるのを嫌がっていたと言われるが、横綱に昇進するに当たり本名のままでは問題があると説得されたらしい。なお横綱昇進後も本名のままだった力士は、大相撲の歴史上輪島大士ただ一人だけだが(帰化によって本名の変わった外国出身力士を除く)、双羽黒も改名届提出が横綱推挙式の後になったため、推挙状は「北尾」名義での発行となった。

恵まれた体格と素質は誰しもが認めるもので、実際大関までの昇進は比較的スムーズだった。しかし父親が建設会社の取締役で、一人息子として甘やかされて育ったためか、稽古が少しでも厳しいと「故郷へ帰らせてもらいます」が口癖で、また師匠も本人ではなく兄弟子に厳しい稽古を注意した。ひどい時は稽古をサボって喫茶店に行ったりもしたが、師匠が注意をしないものだから、誰も見て見ぬふりをしていた。さらに弟弟子に対するイジメまがいの行動(付き人をエアガンで撃って遊ぶなど)で、付き人が集団脱走・廃業した等と報道されたこともある。そういった人格面での問題と、不透明な横綱昇進の経緯もあって、全盛時代から相撲ファンの間での評価は割れていた。

大関(北尾)時代の1986年5月場所、北尾と小錦の取組でさばおりで小錦の右膝を負傷させたが、小錦にとってはこの故障は引退までたたった。一度は小錦に軍配が上がったものの物言いが付き、取り直しとなったあげくに膝を負傷させられたという経緯がある。諸説あるが「最初の取組は行司の判断通り小錦優勢」と見る者も多く、取り直しとなったのは「外国人差別ではなかったか」という疑念を呈する向きもある。

一部の報道では、小錦は不可解な裁定を受けたあげく怪我をさせられたため、周囲に「相撲をやめる」と強く訴えたと言う説もある。小錦にあの故障がなかったら、という意見は根強く、また1987年の双羽黒廃業事件で横綱昇進の基準が厳格化されたことも、結果として「横綱・小錦」誕生に向かい風となった。このため平幕~三役時代の強かった小錦を惜しむ人の中に、「小錦の横綱への道を断った」と双羽黒を恨む声もある。しかし小錦本人は双羽黒を恨んではいないらしい。

1986年7月場所後、横綱審議委員会が開催され北尾の横綱昇進が討議された。北尾は直近の5月場所は12勝3敗で準優勝、7月場所は14勝1敗で優勝同点(優勝決定戦で千代の富士に敗れる)だった。審議委員会では「優勝経験のない力士が横綱になるのはおかしい」「精神面に甘さがある」との意見が出た。稲葉修委員が最後まで反対したものの、結局横綱に推薦された。横綱推挙伝達式での口上は、「心技体の充実に心懸け、横綱の名に恥じぬよう一層稽古に精進致します」であった。

優勝経験が一度もない北尾(双羽黒)が横綱に昇進できたのは、当時横綱が千代の富士1人で東西に横綱が欲しいという相撲協会の事情と、同時期に保志(後の北勝海)の大関昇進が確定的で北尾を大関に据え置きにすると一横綱六大関になり非常にバランスの悪い番付になるという事情があったからと言える。また北尾(双羽黒)の素質・年齢からいってそのうち優勝はできるだろうという甘い見通しがあったと見る向きもある。

しかし双羽黒の横綱昇進後は、合計3回の場所(1986年11月・1987年1月・1987年11月)で千秋楽まで優勝争いに絡んだものの、3回いずれも最後は千代の富士に敗れて優勝は出来なかった。又当時の横綱陣の中で、双羽黒が一番良い成績だった事が一度も無かった為に、番付は必ず西の正横綱か東西の張出横綱に甘んずることになり、東の正横綱の座に双羽黒の名前が載ることは遂に無かった。

双羽黒が活躍した時代は千代の富士の全盛時代であったが、それでも対千代の富士戦は6勝8敗(横綱昇進後は2勝3敗)と健闘している。千代の富士自身も後年、朝日新聞のインタビューで「双羽黒が廃業しなかったら、自分は横綱の地位にこれだけ長く留まれたかどうかわからない」と、その素質と強さを認めるコメントを出している。

1987年12月27日、師匠である立浪親方とのいさかいから部屋を出奔、そのまま破門同然の廃業という事態になった。部屋の若い衆が「あんなちゃんこが食えるかと横綱(双羽黒)が言っている」と師匠にいいつけたことが事の発端とも言われているが、双羽黒は立浪親方とちゃんこの味付けをめぐって大喧嘩、仲裁に入った後援会会長を殴るばかりか、同部屋のおかみさんにも怪我を負わせるという騒動を起こし、部屋を出ていってしまった(両者の言い分が食い違っていることと、公的な告訴もなかったため、実際に殴ったり怪我を負わせたかどうかは不明)。双羽黒がマンションの一室に篭城中に立浪親方が「廃業届」を協会に提出、この事態を受け大晦日ぎりぎりの12月31日に日本相撲協会緊急理事会が開かれ、双羽黒の廃業を決議した(破門すべしとの意見も当然あったわけであるが、まだ24歳という青年の将来に配慮し、恩情的に廃業という形がとられた)。同日、双羽黒は記者会見を開き「相撲道の違いで師匠について行けない、自分を貫いた」と正式に廃業を発表した。既に発表されていた昭和63年1月場所の番付には、双羽黒の名が残っている。

怪我や力の衰えで引退したのではなく、師匠と喧嘩したあげくの廃業ということもあって、世間の見方は厳しく同情論はほとんど聞かれなかったものの、その素質を惜しむ声もあり、作家の野坂昭如などわずかではあったが双羽黒を支持した者たちもいた。翌年3月には東京都内のホテルで「断髪式」が行われたが、3月場所の直前ということもあって相撲協会関係者はひとりも出席しなかった(止めばさみを入れたのは父親であった)。

プロレスラー・総合格闘家時代 [編集]
大相撲廃業後からプロレス入りまでの間は、ボクシングやアメフトなどからのオファーを断り、「スポーツ冒険家」という肩書きでタレント活動。テレビや週刊誌等の取材にもよく応じており、曰く「相撲はビジネスの一つ。未練は全くない」とのことであった。「週刊プレイボーイ」「ビッグコミックスピリッツ」等で人生相談のコーナーなども持ち、「大相撲をやめたからプロレスにいくんだろうとか思ってるかもしれないが、そんな安易な考えはない」と語っていた。

とはいえ「やはり北尾の進むべき道はプロレスしかない」という世間の見方は根強かった。そんななか、「スポーツ冒険家」の仕事で、アメリカのプロレスラー養成所のひとつ「モンスター・ファクトリー」を訪れる。そこで同行していた東京スポーツの取材に対し「(もしプロレスを)やるなら外人と同じように1シリーズごとに契約という形だね」と、初めてプロレス転向に色気を示す発言をした。その場は進展こそなかったが、この発言以降、急速にプロレスへと傾倒していく。

そして1990年2月10日、新日本プロレスの東京ドーム大会でプロレスデビューすることになる。「アメリカで数ヶ月間、みっちり修行を重ねた」という触れ込みで帰国。その際にはルー・テーズの指導も受けており、北尾は「僕の(プロレスの)師匠(と呼べるの)はルーお父さん」と語っている。リングネームは自身で考えたサンダーストーム北尾で(実際には使われなかった)、対戦相手はクラッシャー・バンバン・ビガロ。入場時のテーマ曲は「超闘王のテーマ」で、デーモン小暮閣下による作曲。黄色いタンクトップをリング上で引き裂くパフォーマンスを見せ、デビュー戦を勝利で終えた。この試合でのフィニッシュ技はギロチン・ドロップ。

試合運びやパフォーマンスは世界的人気レスラーハルク・ホーガンを意識したものだったようだが、身のこなしや技の切れはまだまだプロレスラーとしての説得力には欠けており、勝利を得たのはスター候補生としての特別待遇からだと誰の目にも明らかだった(ちなみに北尾が力士時代に付けられたアダ名は「超人ハルク」だった)。それでいて自信満々の態度で入場し、相手を挑発し、勝利に意気揚々としているなど、あまりの勘違いっぷりからプロレスファンの失笑を買い「帰れコール」が起きた。北尾の数年前に全日本プロレスでデビューした元横綱・輪島大士にも同様の特別待遇は見られたが、輪島は当時既に30代後半と体力的なピークは過ぎたとされており、また北尾のような勘違いした行動も見せなかったため、大相撲時代のファンから同情され温かい目で見守られる余地もあった。しかし北尾は20代半ばと若く、下積みの努力をすれば本格的なレスラーとしても通用するはずだと認識されていただけに、大相撲廃業時と同様に厳しい目に晒される結果となった。

それ以降も対戦相手に恵まれて勝ちはするものの、リング外での大口叩きやふてぶてしい態度、さらにはいつまでたっても「しょっぱい」ままで成長のない試合内容からプロレスファンの目は厳しかった。ほとんどの試合でブーイングや強烈な野次を浴びせられ、果ては対戦相手の二線級の外人レスラーに応援コールが沸き起こってしまう始末だった。本来ならば日本のエース選手にもなれる素質を持っていると見られているのに、日本のファンから見放され、完全にヒール扱いになってしまっていた。北尾がそれに不満そうな態度だったことも、ますますファンの反感を買う結果となった。当時、シングルCDとして発売された「超闘王のテーマ」のキャンペーンで、中日スポーツ(スポーツ紙)の取材に応じた北尾は「自分の試合が速く終わるので、それが不満でブーイングが起きる」などと語っている。「技を受けない」「セルを取らない」北尾に対し、対戦レスラーは露骨に不満を現し、しばしばリング上で不穏な空気が流れた。

デビューは新日本プロレスだが、実際には所属レスラーではなくフリー選手扱いであり、程なくしてマッチメイカーの長州力と対立した。大相撲時代と同様に練習嫌いは直らず「今日は腰が痛い」といって練習をサボるようになり、長州力に対し『この朝鮮人野郎』と民族差別発言をして、新日本プロレスから契約解除を言い渡された。但し、北尾が辞める際には、北尾に坂口征二社長(当時)が同席しての記者会見が開かれ、表向きは円満退社のような扱いがなされていた。その一方で、(「アームズ」という芸能事務所に所属してのフリーランス扱いだったとはいえ)待遇面に関しては、所属選手と同等の扱いだったことも、会見の席上で明らかにされた。

新日本プロレスを解雇されると、大相撲の先輩である天龍源一郎を頼って創立間もないSWSへ参戦。しかし同じく元大相撲力士であるジョン・テンタ(ジ・アースクエイク 元幕下・琴天山)との試合で反則負けを宣せられたあげく、マイクでテンタに対し『この八百長野郎!八百長ばっかりやりやがって!』と発言、さらに観客に向かって『こんな八百長試合を見て面白いのか!』と叫んだ。プロレス業界で「禁句」といえる八百長発言に、会場だけではなくプロレス業界全体が騒然となる(本人は「盛り上がっただろう?」と至ってご満悦だったようである)。発言のみが一人歩きしてスキャンダラスに報じられただけでなく、当時、団体の社長となっていた天龍が「この件は私の不徳と致すところ」と田中八郎オーナーに辞表を提出し(田中オーナーは慰留)、ザ・グレート・カブキが「北尾復帰戦は俺がやる」と発言するなど、その波紋と代償は大きかった。内外から批判が渦巻いたことで、事態を重くみたSWSは、北尾解雇の断を下し、さすがに北尾も「仕方ありません」と甘んじて受け入れざるを得なかった。新日本プロレス、SWSと立て続けに解雇となったことで、大相撲だけではなくプロレス界も復帰不可能と見る関係者も多かった。

問題となったテンタとの試合でも、プロレスの試合を組み立てようとするテンタに対し、まともに技の受け合いをしようとせず、あげくの果てに目潰しのポーズをとって威嚇するなど(シュートを仕掛けたらしい)、目に余る態度だったのは広く知られている。なおテンタとの試合での目潰しポーズは、いわゆるサミング(親指による目潰し)ではなく、人差し指と中指を立てたもの。ポーズをとっただけで、実際の攻撃はしていない。この際も客席からは北尾に対するブーイングが巻き起こっている。
イルカ カッション イナリー ヒンズー ケミカル ヤブラン おりあお パララ アリーナ テリア キンバ マキャベ フードル ハイファイ マイル けんち バルジ ビリティ ビスケ ボール オセロッ ロス ストップ マリン ローエン ランタナ ギブアウ キドニー コーヒー ヒヤシ ファクタ ジュレハ ショベルカ ライフ リック ドレス シーエム ガヤツリ レーン ケション ナラタ プレイ デパオク グロテ ハジャイ トリック シロシ ドット リナッ フィア

SWSを解雇された約1年半後の1992年に、総合格闘家として復帰。UWFインターナショナルや、初期のPRIDEなどにも登場していたが、高田戦におけるハイキックKO負けですべてが終わったと見るファンは多い。1994年1月には格闘技塾・北尾道場(後の武輝道場)を旗揚げし、道場生と共に天龍源一郎率いるWARを主戦場にした。1996年4月5日、第1回ユニバーサル・バーリトゥード・ファイティングでペドロ・オタービオと対戦し、1R5分49秒、グラウンドでの肘打ちで敗北。総合格闘技への復帰後は以前のような態度は影を潜め、リング四方に深々と頭を下げる謙虚さを見せ、昔を知るファンを大いに驚かせた。1997年10月11日、PRIDE.1において総合格闘技戦で初勝利を収めた直後、「やりたいことをやり終えた」として引退を表明。1998年10月11日、PRIDE.4にて引退セレモニーを行った。

相撲界復帰時代 [編集]
2003年9月、日本相撲協会所属ではないフリーの立場ながら、代替わりした立浪部屋のアドバイザーに就任。現役時代に使用した化粧回しを日本相撲協会に寄贈した。

この時、縁の無かった現立浪親方(小結・旭豊勝照)と北尾を結びつけたのは、双羽黒が暴行したために集団脱走騒動を起こしたと先代立浪親方(関脇・安念山治)が主張していた双羽黒の元付き人の一人(幕下6・立田仲憲二、現在の世話人・羽黒海憲司)であると言われている。また、先代立浪には後年発生した立浪親方とのトラブルの他にも、「横綱・大関昇進の際の祝儀金は大半を先代立浪親方に先取りされてしまい、自分の手元にはほとんど残らなかった」という北尾の指摘や、所属する幕下以下の力士への手当金を着服していたのではないかという疑惑など、金銭に関する不始末ともいえる問題が複数囁かれている。

また、双羽黒が廃業となった原因の大晦日のニュースで、当時の春日野理事長が先代立浪に対して突き放した発言を残しており、この事もこれらの裏付けとして世間では見られている。

この様な事もあり、双羽黒の力士廃業の経緯についての先代立浪の主張については、後年に至りあらためて大きな疑義を抱かれている。双羽黒の廃業の実際の原因についても、先代立浪の主張する様な粗暴行為ではなく、先代立浪が引き起こした金銭トラブルに巻き込まれ、この事で横綱の権威に傷が付く様な事態を引き起こされ(たとえば暴力団の関与など)、これにより相撲界から離れざるを得なくなったのではないか、という見方をする者も現れている。また、単純に双羽黒が粗暴行為などの先代立浪が主張した様な問題行動だけで相撲界から飛び出したのであれば、保守的な体質で知られる相撲協会が、いくら外部の立場とはいえ北尾(双羽黒)の相撲部屋への関与を容認するとは考えにくいという見方も根強く、これも疑義を抱く者たちの一つの根拠となっている。

一方、北尾は度重なるトラブルに反省し人間的に成長したとの見方も出てきている。現立浪部屋のアドバイザーとなっていること、近年になって横綱会に参加している事などはスポーツ新聞などでも報じられている。

略歴 [編集]
1979年3月:立浪部屋に入門。四股名は本名の北尾。
1984年1月:新十両。
1984年9月:新入幕。
1986年9月:横綱に昇進、双羽黒を名乗る。
1987年12月:廃業。
1990年2月10日:新日本プロレス東京ドーム大会、対バンバンビガロ戦にてプロレスデビュー、同年SWSに移籍。
1991年4月:SWS神戸大会にて「八百長発言」、同団体を解雇される。
1992年10月23日:武道家に転身、UWFインターナショナルにおいて、高田延彦と対戦。KO負け。
1993年:格闘技塾・北尾(武輝)道場設立。
1994年1月21日:東京・後楽園ホールにて武輝道場旗揚げ戦。
1996年:クエスト(The Quest)キシュウヤマ(力士)役でハリウッド・デビュー。
1997年:リングネームを北尾光覇(-みつはる)に改名。
1997年10月11日:PRIDE.1のネイサン・ジョーンズ戦にて、総合格闘技戦初勝利。
1998年7月1日:現役引退を表明
1998年10月11日:PRIDE.4にて引退セレモニー。
2003年9月:立浪部屋のアドバイザーに就任。

2009年03月17日

大徳寺

大徳寺(だいとくじ)は、京都府京都市北区紫野大徳寺町にある禅宗寺院で、臨済宗大徳寺派大本山である。山号を龍宝山と称する。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は大燈国師宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)で、正中2年(1325年)に正式に創立されている。

京都でも有数の規模を有する禅宗寺院で、境内には仏殿、法堂(はっとう)をはじめとする中心伽藍のほか、20か寺を超える塔頭(たっちゅう、本山寺院の境内周辺にある関連寺院)が立ち並び、近世の雰囲気を残している。大徳寺は歴代多くの名僧を輩出し、茶の湯文化とも縁が深く、日本の文化に多大な影響を与え続けてきた寺院である。本坊および塔頭寺院には、建造物、庭園、障壁画、茶道具、中国伝来の書画など、多くの文化財を伝えている。

大徳寺の開祖である禅僧・宗峰妙超は、弘安5年(1282年)、播磨国(兵庫県)に、同国守護・赤松氏の家臣・浦上(うらのえ)氏の子として生まれた。11歳の時、地元の大寺院である書写山円教寺に入り、天台を学ぶが、のち禅宗にめざめ、鎌倉の高峰顕日(こうほうけんにち)、京の南浦紹明(なんぽじょうみん)に参禅。南浦紹明が鎌倉の建長寺に移るにしたがって宗峰も鎌倉入りし、徳治2年(1307年)に師から印可を得た。

その後数年、京都東山で修行を続けていた宗峰妙超は、正和4年(1315年)(元応元年・1319年とも)、同郷の赤松則村(円心)の帰依を受け、洛北紫野の地に小堂を建立した。これが大徳寺の起源とされる。花園上皇は宗峰に帰依し、正中2年(1325年)、大徳寺を祈願所とする院宣を発している。寺院としての形態が整うのはこの頃からと思われる。後醍醐天皇も当寺を保護し、建武元年(1334年)には大徳寺を京都五山のさらに上位に位置づけるとする綸旨を発した。

しかし、建武の新政が終わって足利氏が天下を取ると、後醍醐天皇と関係の深い大徳寺は足利氏から軽んぜられ、五山十刹から除かれてしまった。至徳3年(1386年)には、五山十刹の最下位に近い、十刹の第9位とされている。このため大徳寺は、政府の庇護と統制下にあり世俗化しつつあった五山十刹から離脱し、座禅修行に専心する独自の道をとった。五山十刹の寺院を「叢林」(そうりん)と称するのに対し、同じ臨済宗寺院でも、大徳寺、妙心寺のような在野的立場にある寺院を「林下」(りんか)という。
ストアッ ソードフ こりー テレホブ ヘンジ ガーべジ ミュータント アシッド ゲリコ チェスト キャリア オープン モンゴ ストリー ビッチ シェイク モック マジャ クリアス テネリ ロム ジュエル ルブリク リムジン エナメルレ ダルフ ファウ ライト デスク ロック カクテル セシウム リカステ キンレン モンキ 花の坊 ワイン ウィキ ミゼット サイコ ステージ 黒船 ゲルマ オメガ ハリウッド ソーラー ケイン セレナイト テーラー フロップ

その後の大徳寺は、貴族、大名、商人、文化人など、幅広い層の保護や支持を受けて栄え、室町時代以降は一休宗純をはじめとする名僧を輩出した。侘び茶を創始した村田珠光などの東山文化を担う人びとが一休に参禅して以来、大徳寺は茶の湯の世界とも縁が深く、武野紹鴎、千利休をはじめ多くの茶人が大徳寺と関係をもっている。

享徳2年(1453年)の火災と応仁の乱(1467 - 77年)で当初の伽藍を焼失したが、一休宗純が堺の豪商らの協力をえて復興。近世以降も豊臣秀吉や諸大名の帰依を受けた。江戸時代初期に幕府の統制を受け元住持である名僧、沢庵宗彭が紫衣事件と呼ばれる流罪の圧迫を受けたが、幕府との関係ものちに回復した。寺運は栄え今日に至っている。

2009年03月01日

疾風!アイアンリーガー

遠い未来。ロボットが様々なスポーツを行うアイアンリーグは、ラフプレーが横行し、観客はおろか、実況・解説などのプレスまでもが破壊と暴力に興じる、ダーティな見世物と化していた。アイアンリーグを影で支配するダークスポーツ財団は、優秀なリーガーを強制引退させ、遠い宇宙で繰り広げられる戦争用のロボット兵器として送り込む、死の商人でもあった。

ダーク系列のアイアンサッカーチーム・ダークプリンスのスター選手マッハウインディは、チームメイトの卑劣なプレーに嫌気が差し、退団する。しかし、ダークスポーツ財団のオーナーであるギロチは、マッハウィンディをダークプリンスに連れ戻すべく他のチームに圧力をかけ、移籍できないようにはかる。残る選択肢は、ダークにも相手にされない弱小チーム・シルバーキャッスルしか無い。連戦連敗、多くの人々から嘲笑されながらも、常に正々堂々のフェアプレーを貫く姿勢に魅力を感じたものの、弱すぎるチームでは燃料やオイルの補充、まともなメンテナンスにも事を欠き過酷な生活が待っている事に躊躇していた。そこへ突如として現れた謎の野球リーガーの熱い直言に、ウィンディは迷いを振り払い、入団を決意する。シルバーキャッスルは、まさかの驚きとともに、彼を歓迎した。

次のダーク戦でも、ラフプレーの波状攻撃を受け、シルバーキャッスルは窮地に陥る。そこへメンバーチェンジで、件の野球リーガー・マグナムエースが登場。マッハウィンディとの連携で試合の流れを引き戻し、念願の初勝利をものにした。だが、喜びもつかの間、ダークの工作によって、今度は全く経験のない野球リーグへの二重参加を厳命されてしまう。

マグナムエースは、故あって一線から遠去かっていたブルアーマーの魂に再び情熱の火を点し、新メンバーに迎えたのをはじめ、過酷な日々が続く中で出会ったリーガーたちと時にはサシで勝負、時には命懸けで戦いながら、いつしか友情を深め、新たな仲間を増やして行った。夢をあきらめかけていたオリジナルメンバーたちも自信を取り戻し、シルバーキャッスルは勝利と栄光へと突き進む。やがて、その正々堂々たる精神によって、アイアンリーグは少しずつ、だが確実に変革の兆しを見せ始めるのであった。

ダークスポーツ財団
強制引退
ダークが、所属する優秀なアイアンリーガーを本人の意志とは関係なく文字通り強制的に引退させ(表向きはリーガー自身の意向によるものと発表される)、記憶を封印した上で宇宙戦争用の兵器として改造を施し、顧客に高値で売り付ける行為。

ショックサーキット
ダークスポーツ財団の製造した全てのリーガーに組み込まれた、全身に激痛を走らせる回路。その存在を知る者は極少数で、見つけにくいよう巧妙に隠されている。ダークに逆らったり脱走するリーガーに対して使用し、激痛で動けなくなったところを爆破することもある。
ショックサーキットの発動にはレベルが設定されており、苦痛の度合いが異なる。

オーナー会議
アイアンリーグはダークスポーツ財団のオーナーギロチに握られており、オーナー会議もギロチの支配の下で行われる。オーナー会議の開催はダークに歯向かい続けるシルバーキャッスルのオーナー、ルリー銀城には知らされる事はない。政治力を背景にダークが力を振るう舞台は大方このオーナー会議であり身勝手と言えるオーナー会議の「結論」によってシルバーキャッスルは幾度となく窮地に立たされる。

キャスト・アイアンリーガー
シルバーキャッスル所属リーガー
マグナムエース/シルバーフロンティア(演:松本保典)
窮地に陥ったシルバーキャッスルに突如現れた謎の野球リーガー。有無を言わせない説得力とその熱き魂でアイアンリーグを正々堂々と戦い抜いていく。同時にショックサーキットの位置を知っており、ダーク製のリーガーを次々とその魔手から解放する。
その正体は、元ダークキングスのエースピッチャー・シルバーフロンティア。10年前に強制引退にあい、アイアンソルジャーVZとして戦場で戦わされていた。後にリカルドの手によって帰還、マグナムエースとして再びマウンドの前に立つ。
必殺魔球は「44(フォーティーフォー)ソニック」「44ソニック・オン・ファイヤー」「44スクエア」「アステロイド・キャノン」。他にも、チーム全体での合体技「ライトニングクラッシュ」「スーパーノヴァ」がある。
マッハウィンディ(演:置鮎龍太郎)
元ダークプリンス所属のサッカーリーガー。ダーク時代はゴールドフットのパートナーだった。チームメイトのラフプレーに腹を据えかねてダークプリンスを退団し、マグナムエースやヒロシ達に勧誘されてシルバーキャッスルに参入。
スピードと華麗なテクニックが特徴。得意技は「マッハスピン」「ジグザグシュート」。
ダーク財団の最新技術を用いて作られたリーガーであるため、シルバーキャッスル加入後はメンテナンスに苦労する場面も見られた。
当初は「ウィンドボーイ」という名前であったが直前になって変更となったエピソードがDVDBOXの声優インタビューで語られている。また、タイアップ企画としてコミックボンボンで連載されていた漫画の第1話にはこの変更が間に合わず第2話でシルバーへの移籍を期に改名(ついでに髪?も黒から金に染めている)したことになっている。
キアイリュウケン(演:堀川亮)
空手リーガー。シルバーキャッスル創設時からのメンバーの一人で、ルリー銀城とは最も仲が良い。優しい性格で、やや精神的に弱いところもあるが、燃えるような闘志を秘めている。また、ボディにはシルバー三兄弟が持つブラックボックスの完成体が内蔵されている。必殺技は「竜鉄拳」。
シルキー達と同じ小さな町工場で作られたが、手違いにより空手リーガーとしてロールアウト。当初は自分のことをサッカーリーガーと思い込んでいたため、自分の実力を上手く発揮しきれないでいたが、ある事件によって真の姿に気付き、己の能力をより的確に発揮できるようになる。また、それに伴ってサッカーの腕も見違えるほど上達した。敵の攻撃を受けても「平気だよ」と何事もなかったかのように試合を続けられる、GZに次ぐ頑丈さの持ち主で、ラフプレーで苦しむシルバーキャッスルにとって頼もしい存在である。
韓国放送時にはテコンドー選手に変更されていた。
ブルアーマー(演:茶風林)
アメフトリーガー。かつてアメフトリーグのスター選手だったが、設計時のバグにより頭の角を前に倒すフルパワーモードになると理性を失って凶暴化してしまい、試合中に無差別な破壊を行った事を切っ掛けに引退。行方をくらませる。その後人知れずホスピタルに勤務していたが心の底ではリーガーとしての心と事件の罪の意識の間で葛藤を続けていた。
とても優しく、面倒見も良く、持ち前の怪力でトラックに轢かれそうになったルリーを救った事が切っ掛けでシルバーキャッスルと知り合う。
怪力によりキャッチャーとして44ソニックを受け止められるチーム唯一の選手である。「どぉりゃぁ~!」という掛け声が口癖。
飛行機が大の苦手で角を完全に後ろに倒しきって縮こまってしまうほどであったが、番組中盤の「はぐれリーガー編」で普通にボウシップに乗っているところを見ると、何とか克服できたようである(ボウシップのみが別格である可能性もある)。
極十郎太(きわみ じゅうろうた)(演:山口勝平) 
剣道リーガー。寡黙な孤高の剣士で過去の前歴が一切不明。セクションXにさえ分からない。センサーを超えた心を求める為に山に篭り修行を続けていたが、テレビで44ソニックを見てマグナムとの対決を決意。山を降りてシルバーキャッスルと接触する。
必殺技は自ら「切れぬ物は無い」と語る日本刀、ムテン・ソードを用いた「水月の剣」。彼の精神が月の映る水面のように静まる明鏡止水の境地になることで可能になる。マグナムエースは彼の挑戦を受け対決の中で新たな修行の道を示す。野球リーグに強制参加させられたシルバーキャッスルの四番バッターである。
野球の試合ではその剣技を生かした必殺打法でジェノサイドスクリューを打ち負かしシルバーキャッスルの窮地を救う。物語後半、マグナムエースを諭し44スクエア誕生のきっかけを作った。また危険の中では強力な戦闘能力を発揮する。
また、十郎太とは全く逆な性質のキャラクターを演じることの方が圧倒的に多い山口勝平が声を演じていることでも有名。
トップジョイ(演:小杉十郎太)
バスケリーガー。非常に陽気で楽天的な性格。
マッハウィンディと同じく、楽しむ為のバスケットをしたいと願っていたが、チーム方針に合わず脱退=廃棄処分になりかけていた所をダークの諜報機関セクションXに拾われ、シルバーキャッスルにスパイとしてもぐりこむ。しかし逆にシルバーキャッスルを勢い付かせるムードメーカーとなりスパイ活動もことごとく失敗する。シルバーキャッスルとは考え方が全く違っていたが持ち前の明るさですぐにチームメイトやファンの子供たちと打ち解けるようになる。しかし、ショックサーキットの恐怖とバスケリーグへの思いが長らく彼をダークへ引き止め苦しめる事になる。
両腕両脚がスプリングになっており、ジャンプと遠投力は抜群。肩のスピーカーからは陽気な音楽が流れる。子供好き。
必殺技は「ギャラクティカペガサスシュート」、マグナム・ウィンディとの合体技「ミストラルボンバー」。
声を演じている小杉十郎太の普段の渋い声のイメージと極十郎太と名前が被ることから一部で「(十郎太役の)山口勝平と役が入れ替わってしまったのでは?」と噂されることがある。
GZ(ジーゼット)(演:堀之紀)
アビランド ケイソ グズア 月の宿 トラム 太鼓判 バロイ ガリウム ジョーカー スーパー プチブ ダムウェ フット チルドレン シーズン ポインセ キッチン メンチ ナラティブ 河童大王 アービト キャリア カララー ダブルシン ガッツ カフス ビジョン デバイ マスゲ シェード ナル 華麗 プロジェト スタート スタンド ハノー リアリ スヌーピ アオザイ フォトメ ビンバ シネコン スローガン ライン センナ ハイマツ アコード フォカマイ スコア ケブキ

アイスホッケーリーガー。元ダークのアイアンソルジャー。マグナムエースことVZとは戦友であったが、行方不明になったVZは残骸も残らないほど破壊されたものと思っていた。再会にあたりマグナムエースが仲間を捨てて逃げた脱走したと考え激しい憎悪を向ける。シルバーキャッスルの強い絆、マグナムエースのあらゆる存在を敵としない信念、ショックサーキットなどを目の当たりにし葛藤の末、シルバーキャッスルのリーガーとして生きる事を決意する。GZの名がリーガーとしての名前かソルジャーとしての名前かは不明。
他人にも自分にも厳しいが、子供には優しい一面も見せる(ただし最初は子供の扱いが苦手だった)。アイアンソルジャーのままのボディの頑丈さはチーム随一。
必殺技は「ソルジャースラップショット」「ブリザードスラップショット」。
シルキー(演:菅原正志)
サッカーリーガー。シルバーキャッスルの初期メンバー。
マグナムたちが加入した後も、良き仲間として彼らを支え続ける。量産型らしく目立った特徴はなく、シャーキードーグとの試合など性能差から傷つくことも多いが、一途な努力でレギュラーを勝ち取っている。
シルキー以外の初期メンバー
ピック(背番号2)
パット(背番号4)
ピート(背番号5)
ロニー(背番号6)
リンキー(背番号7)
ボビー(背番号8)
カール(背番号10)
ジェイク(背番号9)
マッハウィンディが加入する前のエースストライカー。
ジム(背番号11)
ジェイクとジムの2名は、シリーズ初期にシルバーキャッスルを退団している。

2009年02月11日

忘れな草 (ゲーム)

伝奇・伝承を物語に組み込んだビジュアルノベルの一種である。画像を背景に据え画面全体にテキストを表示する形式だが、従来のビジュアルノベルとは演出上の大きな違いがあり、ノヴェルシアターと銘打たれている。文章の大きさ、消え方、出現位置などが多様な変化を見せ、キャラクターの心情を表現するのに大きな役割を果たしており、画面の演出でも波紋やぼかし、画面スクロールなどが使われている。また、キャラクターの立ち絵が正面だけでなく、状況に合わせて背面、側面、胴体部分だけと使い分けられている。
ヤーダ ひまわり ヘンチック ロミア シロタ イングラ カフジ はばたけ チンナカ テライト オーツ インチ ウバナ ミクロン スカウト ドットコム ティアラ きょうせい ニードル シュート ヒュー パート フラッ バタフライ メイド ケミカ 大葉春菊 一寸法師 ポリス ギアナ ニガナ リルフール フィック バネー ビー玉流し ダンディ インプット らんぐい ムール ものう ユニーク ムベ ジップア のぎつね ロッテル モヘンジ ハウス タンドー ブロージ リグニン

既読スキップはないが、Ctrlキーを押し続ける事によって、もしくはEndキーを一度押せば自動で文章を送る事が出来る。文章を消したい場合はSpaceキーを使う。本ゲームには音楽鑑賞モードにおいて3つの曲で曲名が一致していない不具合があるが、りぺあ~Patch Library~で修正パッチが入手可能。

ディスクレス起動不可。

物語
主人公であるソラは大学卒業後、これといった目的もなくフリーターをしていた。ある日、ソラの元に同窓会の知らせが届く。卒業したのは十数年前である。その知らせには差出人の名前がなかった。大方、ガキ大将だったカイトあたりの仕業だろうと思い、差出人については詮索しない事にした。

ソラの故郷は廃村寸前の村で、小さな分校があった。ソラが卒業する前に分校は廃校となり、村そのものが隣村と合併されることになった。村の子供達は、それと同時に隣村の学校に通う事が決まっていたのだが、ソラだけが両親の仕事の都合で村を離れる事になった。その時以来、村には帰っていない。手紙によれば、村の再開発が始まるらしく、分校も取り壊されるという。そのため差出人は、思い出の分校で、最後の生徒達で同窓会をしたいのだという。

ソラは同窓会のためとはいえ、現実から逃避するために故郷へと赴く。同窓会の当日までまだ日数があるため、亡くなった祖父が住んでいた家に宿泊する。かつての友人達とも再会を果たしたソラは、自分に好意を寄せてくるセナと共に、子供の頃に一緒に遊んだ炭焼き小屋にピクニックに行く。二人だけの秘密の場所だった。十数年前、ソラが村を出て行く当日、ここでセナと会う約束をしていた。しかし、その約束を果たさずにソラは村を出て行ってしまった。あの時、セナはずっと待ち続けていたのだという・・・・・。

・・・・・封印された記憶と人の想いが、現実を侵食し始める・・・・・

主な登場人物
ソラ
主人公。25歳の男性。身長174cm。体重62、3kg。大学卒業後、フリーターをしているモラトリアム青年。無口で内向的な性格。父親は著名な風土民俗学の学者。
セナ
メインヒロイン。25歳の女性。身長155cm。体重42、3kg。カイトの妹で、村役場の事務員。物静かで引っ込み思案なところのある女性。人と接するのが苦手で性格的に鈍いものの、裁縫や料理などは上手い。ソラが村を離れた日からしばらく、行方不明になっていた時期がある。本人はその辺りについて多くを語らない。
カエデ
26歳の女性。身長168cm。体重50kg前後。地元の名士の娘で、現在は父親の事業を手伝い、村の再開発に携わっている。おっとりしているが説教癖がある。
ナズナ
24歳の女性。身長162、3cm。体重47kg。村の診療所の一人娘で、地元の医科大学に通う学生。カズキとは姉妹のように仲が良い。怒りっぽく気が強い。
カイト
27歳の男性。身長187cm。体重84kg。セナの兄。腕っ節が強く、大雑把な性格。かつてはガキ大将的な存在だった。現在は運送会社に勤務している。
カズキ
23歳の男性。身長165、6cm。体重52、3kg。幼少の頃より体が病弱で医者にかかることが多かったため、診療所の一人娘であるナズナとは姉弟のように仲が良い。分校ではイジメの対象だった。
仮面の少女
その素性は一切が不明。一匹のミミズクと共に夜の鎮守の森や天通鏡の池などに出現する。

主要なキーワード
勿忘草(ワスレナグサ)
欧州原産の植物で中世ドイツの悲恋物語が名前の由来。花言葉は「真実の愛」「私を忘れないで下さい」。なお、エゾムラサキというワスレナグサ属で唯一の日本在来種もある。
勿忘ヶ原(ワスラジガハラ)
忘れな草が群生する場所。人の想いを叶えると同時に、人を呑み込む場所とも言われている。
上鷺村
主人公が生まれ育った物語の舞台となっている村。
鎮守の森
上鷺村を囲んでいる森。
天通鏡の池(アマツミノイケ)
隕石落下説のある池。
炭焼き小屋
プロパンガスの普及で炭が使われなくなり、そのまま放置されている小屋。幼少の頃、ソラとセナが学校の帰りによく遊びに来ていた。
シラサギヒメ
村に伝わる伝承。大概の場合、そのヒロインの女性を指す。禁忌を破ったため、花に姿を変えられたとも日の光の下で生きていけなくされたとも言われている。
大御座石(オミクライシ)
上鷺稲荷神社の御神体となっている丸石。神社に安置されているのは模造品で実物は行方不明になっている。
星祭
天原より、客神(マレガミ)を招き入れるという上鷺村古来の祭り。儀式そのものが隠蔽されているようで、年寄り連中の間ではこの話題に触れる事は禁忌となっている。人身御供が行われていたという説がある。
風土病
上鷺村近辺特有の風土病。現在はほとんど見られなくなった。

2009年01月24日

顔の右半分もアルター化され突起物が形成


ドリーム ミリバ すぐき菜 ちそう パンプ ハーフ カバー しゃるどね リニュ バイオ カリソウ ノータック キシャー スモー スンドゥ ずっき じゅんか チンチラ ブタジ カーネ ロゴ チェック アクシオン ロメン 銀色の雨 マスタ ミーゴー パエリ きんあか ディン ワスプ ハロー ジスト パレード たーつぁい オテコ オープン たまりん ジャグ メラノ カーコン ツガWEB アプリ オービタル ハーフ ナビ夕立 エスアイ つくし プレイシ ハイブ
第二形態
「向こう側」の結晶体と対峙し、その一部を手にしたカズマが新たに得た能力。右腕がさらに大型化し、羽根は一枚羽根の風車に変化し、顔の右半分もアルター化され突起物が形成される。劉鳳との戦いにより開かなくなった右目も、この状態では開く事ができるようになる。風車を回転させて飛行能力も発動できる。必殺技を使う際には手甲や前腕部で閉じられているアルターの装甲が開き、手甲内部にある物が回転して推進力を爆発的に上げる。装甲が開く時には手関節部分についているネジのような装甲が一回一回外れるようになっている。シェルブリットよりもさらに強力で回数制限も解除されたシェルブリット・バーストを使用可能だが、カズマ本人に与える負担も桁違いで、連続使用すると右腕が使い物にならなくなってしまう。基本的にカズマはこの状態を「シェルブリット」と呼んでいる。漫画版には未登場。
第三形態
無常に力を吸収されている最中に抗おうと「向こう側」の力を強引に利用して発現した能力。右腕だけではなく左腕にも第二形態の装甲が装着され(風車ではなく短い尾のような物が生えている)、両脚までもがアルター化している。ただし登場したのは第二形態と最終形態の繋ぎとしての一瞬だけ。
最終形態
「向こう側」の力を完全に引き出した姿。獅子を模したようなアルターが全身を覆い、両手でシェルブリット・バーストを放てる極めて強力な形態。劇中の描写から、通常攻撃の一つ一つ(パンチは勿論、頭突きに至るまで)もシェルブリットかそれ以上の威力を持っていると思われる。飛行能力もそのままで、風車が獣のような長い尻尾状の物に変化している。一瞬で成層圏まで到達する速度を誇り、大気圏外でもなんら支障なく行動できる。第二・第三形態の時に手関節部分についていたネジは消えている。漫画版では、能力等はほぼ同じだが、形状が大きく異なっている。なお、両手に輝きを集め、シェルブリット・バーストを放つ際は「自慢の拳」という名称になる。谷口監督曰く、カズマの存在意義の全てと自らの命を一つにした拳の一撃を放つという意味が込められている(アニメブックより)。
絶影 (劉 鳳)
自立稼動型。腕組みをし、拘束衣を着て顔の左半分を隠した少年のような姿のアルター。これは強すぎる力を劉鳳があえて封印した姿である。首のあたりから生えた伸縮自在の2本の鞭、柔らかなる拳・烈迅を使い、近接戦闘、広範囲攻撃共に優秀。名の由来は母・桂華と共にアルター結晶体に殺され、アルターとして再構築した劉鳳の飼い犬「絶影」の名前から。鞭部分は水守にあげたペンダントと同じ十字が掘られている。アルターとの繋がり具合が深い状態だと、絶影の受けたダメージが劉鳳に還元する事がある。
第二形態(真・絶影)
封印を解いた絶影の真の姿。ナーガのような姿をしており、空中を高速で移動できる。構築される時には液状のように見える。名前の通り、影を絶つほどの超高速攻撃を使うことができる強力なアルターだが、その分劉鳳にかかる負担も大きい。両脇には剛なる右拳・伏龍、剛なる左拳・臥龍という2基のミサイルを持ち、その威力はカズマのシェルブリットとほぼ互角。この形態でも烈迅での攻撃は可能である。
作中では真・絶影とは呼ばれず真なる絶影、或いは単に絶影と呼ばれている。
最終形態
融合装着型。全てを捨て、ただ勝利のみを求めた劉鳳が絶影と融合した姿。その面影があるのか、第一形態の絶影の耳部分の装甲が装着されている。第一形態の鞭の先端部分同様水守の持つペンダントが模されたようなプラス字の掘られたアーマーと、それとは対称的に反対側の肩にマイナス字が掘られたアーマーが装着されている。空中での残像を残しながらの高速移動を可能とし、両耳・両肩のアーマーは腕に移動させて剣として使用でき、設定上では槍にも変化させることができる。右の剣は射出して自由自在に操れ、左の剣はシールドになる他衝撃波を放てる。大気圏外でもなんら支障なく行動できる。
ラディカル・グッドスピード(ストレイト・クーガー)
具現型。車などの乗り物を自分専用の超高速仕様にアルター化させる。が、大抵の乗り物はその負荷に耐えれず廃車になってしまう。他の乗り物がどうアルター化するのかは不明、作中では車にしか利用していない。外見はかなり悪趣味である。非常に速いが運転手の運転技術と相俟って乗り心地は最悪(本人は大丈夫であり、饒舌で早口になる)であり、運転手がある程度離れると時折自爆する。
尚、運転しなくてもある程度遠隔操作させる事ができ、水守達の場所に車を届け、建物の倒壊に巻き込まれそうになった水守達を助けた。
ラディカル・グッドスピード脚部限定
融合装着型。その名の通り脚部のみに能力を発現させ、流線型の装甲を形成する。速度を利用した蹴り技がメインで、自動車形態を上回るスピードと攻撃力を持つ。踵部分のピストンによってハイジャンプや強烈なスタートダッシュが可能。必殺技はヒール・アンド・トゥー(よく「ヒーローキック」と間違われがちだが、英語版字幕などでははっきり「Heel and Toe」と表記されている)、装甲部が前後に展開してピストンを打ちだし同時に側面部の噴射口から噴き出す勢いでジャンプし蹴りを放つシェルブリットと呼ばれる弾丸の如き蹴り技。その必殺技の初発名はカズマと同じく衝撃のファーストブリット。何故同じ名前かと言うのはカズマに戦いのノウハウを教えたのはクーガーであり、クーガーがシェルブリットと衝撃のファーストブリットの名前をカズマに伝授したからである。
その圧倒的スピードは速過ぎてイーリャンの絶対知覚でも感知出来ない。
また、壊滅のセカンドブリットという必殺技も持っているらしいが(アニメブックより)、本編では登場せず。
最終形態(フォトンブリッツ)
全身をアルター化させ、流線形の装甲で覆う。背中にはアルター粒子の噴射口があり、速度と運動性は数あるアルターの中でもトップクラス。竜巻のように回転し、スピードと遠心力を利用した回し蹴り、瞬殺のファイナルブリットが必殺技。あまりの速さでイーリャンの絶対知覚でも感知不可能だが、他人の心を読むかなみの能力には弱い。外見はラディカル・グッドスピード時とは打って変わってスーパーヒーローのような格好いいものになる。本土による精製のアルターに関する影響の有無は不明。
エタニティ・エイト(橘 あすか)
具現型。あすか本人の意思によって自在に動く八つの宝玉。生物の頭部に取り付け自在に操ることができるが、精神が操られてる人間には通用しない。非常に使い勝手がよく、円状に並べば防御幕、直線状に並べば剣、また脚の近くに配置し自身を浮遊させたり(もちろん遠くにあるものを浮遊して運ぶことも可能)、暗闇の中での光源、更に生物操作の応用で医療にも使える。しかしカズマには力任せに破られたりと、「万能型」と「器用貧乏」を代表するようなアルター。左手に弓を形成し、6つの宝玉を弾として射出するエタニティ・エクストラショットという技を持つ。
本来は8つの宝玉はそれぞれが別々の色だが、当時ではとてもテレビで追い切れないとして緑に統一された。本来の別々の色の状態のエタニティ・エイトは5.1ch-BOXの二巻目の表紙で拝むことができる(確認できるだけで緑・紫・深緑・オレンジがある)。
ビッグ・マグナム(立浪 ジョージ)
具現型。浮遊する大型のリボルバー式の大砲。ジョージの持つ照準器によって狙いを定め、弾丸を射出する。また、彼の部下は彼が生成した銃を持っており、銃型ならば意外と生成の幅は広いと思われる。
ノーブル・テンペスト(寺田 あやせ)
具現型。甲殻類生物のような小型のアルターだが、発動時は髪をおろし髪飾りへと偽装して形成される。髪が触れたあらゆる物体を無音のまま水に変えてしまう。しかし目標の選択が出来ず、劇中では誤って君島のバイクまで水に変えてしまった。
ノーブル・テンペスト改
本土によって精製された強化版。髪飾りではなく蟹のような首飾りを形成し、周囲を海と化し自在に操る。海中のナトリウムやマグネシウムに化学反応を起こさせ、小規模だが爆発を起こすこともできる。カズマのシェルブリットを完全に圧倒しており、精製前とは別人の様に強い。背後にも大きな女神のようなアルターを作り出すが、それがどんな役割を担っているかは不明。海そのものをアルターとして再構築してるため、彼女の作った海は不自然な渦を巻いている。作中あやせはこの状態をノーブル・テンペストと呼び、改はつけていない。
P・P(プログレッシブ・プロセッサー)(プーリー)
具現型。大きな牙と、溶解液になっている唾液が大きな特徴。シェルブリットを装着したカズマを圧倒したが、橘とカズマの共同戦線に敗れる。
最悪の脚本(マッド・スプリクト)(雲慶)
アクセス型。あらかじめ脚本を書くことでそれらを実現させることができる。これを応用することで他人の思考を変換し物語の登場人物とする事で洗脳することができる。洗脳対象以外は彼の書いた脚本通りに演技をしなければならない。ただし、ある程度洗脳が進むと洗脳相手は幻を見るようになるので、彼の脚本に最後まで付き合う必要はない。画面上で目をよくパチクリしている。触手のような物は、雲慶の脚本の執筆に役立っている。原稿用紙を用いての攻撃も可能だが、そこまで威力は高くない。
なお、劇中での来夏月の台詞から、雲慶のこの能力と同じアクセス型の能力者(由詫かなみなど)はこの能力が効かず、脚本の舞台に何ら影響を受けずに介入できてしまうようだ。尚、能力名は意図的に「スクリプト」ではなく「スプリクト」となっていて、ちょっと注意しないと見聞きし過ごしてしまうという事を表しているらしい。何故この名前になったのかは彼の執筆能力の限界を表していると思われるが実際は不明。
スーパーピンチ(エマージー・マクスフェル)
自立稼動型。エマージーが崖っぷちのピンチに陥ると、腕時計がブレスレットのようなものに変化。これに命令を叫ぶことで、勇者シリーズに登場するようなロボット「スーパーピンチクラッシャー」(後述)を操ることが出来る。また、エマージー本人の周囲にピンチガードというバリアを発生させることも出来る。
条件を満たさなければ効果を持たないアルター使いはいるが、条件を満たさないと生成すらできないアルター使いは珍しい。これは彼が過去にたまたまスーパーピンチクラッシャーを生成したのを、ロボットが助けに来てくれたという感覚に囚われているからだと思われる。つまり、彼のアルターは自分の力として生成するものではなく、自分がピンチの時に助けてくれるものでしかない。非常に強力なアルターだが、この心の弱さがカズマとの戦いの敗因である。
スーパーピンチクラッシャー
自立稼働型。勇者シリーズに登場するような巨大ロボットをスーパーピンチと同時に生成する。エマージーが幼い頃に拾ったロボットの玩具が由来。巨体な上、パワードライフルなど武器を使いこなす。

2009年01月17日

ライラの冒険

ライラの冒険(ライラのぼうけん、原題:His Dark Materials)は、フィリップ・プルマン作の三部作のファンタジー小説。第1部「黄金の羅針盤」 (1995年) 、第2部「神秘の短剣」 (1997年) 、第3部「琥珀の望遠鏡」 (2000年) からなる。
オフチ ふくち ブラン ぶんかく プラント スマ フロック トトッ メタロ ダイオプ ブリキア パタゴニア ライン パラメータ ジューク ハンガー ビエン きつね ピラミッド ビールス バーテン トパバス パーマワ チュリア しろくま そうこ ハラーム ヒューズ デスバ ループ ティーツ ライブ イペリッ ナビオギ シーディ イザベ アカシア こじゅう オールロ ゼット パートナ リソース レサーチ シュツルー ケオキキ レモン ピッチ ラック まくわ トータル


現実世界と良く似た別世界に住む11歳の少女ライラ・ベラクアと、我々の世界に住む12歳の少年ウィル・パリーを中心に、無数に存在するパラレルワールドを旅する冒険ファンタジー小説である。

第3部「琥珀の望遠鏡」は2001年、イギリスの文学賞・ウィットブレッド賞の大賞を児童文学として初めて受賞した。

プルマンは「お金のために続編を書く気はない」としていたが、2003年に実質的には続編にあたる短編『Lyra's Oxford』を発表し、さらに2008年にはスピンオフ小説として、若きリー・スコーズビーとイオレク・バーニソンを中心とした『Once Upon a Time in the North』を発表している。

物語は我々の世界に良く似てはいるが、人間には誰もが分身ともいえる動物「ダイモン」がついており、魔女やよろいグマなどが住んでいる世界から始まる。オックスフォード大学のジョーダン学寮に住むライラの周りで、子どもたちが連れ去られる事件が相次ぐ。ゴブラーという組織が北極で子ども達を何かの実験に使っているという噂。ライラの親友ロジャーもさらわれ、叔父のアスリエル卿も失踪する。ライラと彼女のダイモンのパンタライモンは、船上生活者ジプシャンたちとともに、ロジャーやその他の失踪した子どもたちや、アスリエル卿を救出するために、学寮長から渡された「真理計(アレシオメーター)」を手に、北極へと旅立つ。

主な登場人物
ライラ・ベラクア / ライラ・シルバータン(Lyra Belacqua / Lyra Silvertongue)
オックスフォードの名門ジョーダン学寮で暮らす少女。物語開始時には11歳。非常に快活で腕白な性格であり、学寮に住む学者たちも手を焼いていた。ダイモンの名はパンタライモン(Pantalaimon)。真理計を読むことが出来る特別な能力を持つ。嘘をつくのが非常に上手く、イオレクから「雄弁」を意味するシルバータンの名を与えられた。
ウィリアム・パリー(William Parry)
愛称ウィル。『神秘の短剣』より登場する、もう一人の主人公。初登場時、12歳。神秘の短剣の守り手として選ばれ、父ジョン・パリー(John Parry)を探すためにライラと共に旅をする。
アスリエル卿(Lord Asriel)
ライラの実の父親。当初はライラの叔父と偽っていた。パラレルワールドを分かつ壁を破壊しオーソリティの打倒を目指す。ダイモンはユキヒョウのステルマリア(Stelmaria)。
マリサ・コールター(Marisa Coulter)
ライラの母親で、献身評議会の指揮を執っている。残忍かつ冷酷な性格で、娘ライラに対し捻くれた愛情を抱いている。ダイモンは金色のサル。
イオレク・バーニソン(Iorek Byrnison)
パンサービョルネ。本来はクマの王となるはずだったが、イオファーの策略により掟破りの汚名を着せられスバールバルを追放される。さらにトロールサンドの人間に騙され、よろいを奪われてしまう。戦士としても、鍛冶師としても非凡な才能を持っている。
リー・スコーズビー(Lee Scoresby)
テキサスの気球乗り。イオレクとはかつての戦友である。ダイモンはホッキョクウサギのヘスター(Hester)。
セラフィナ・ペカーラ(Serafina Pekkala)
エラナ湖地区の魔女一族のリーダーで、ライラたちに協力する。ダイモンはカイサ(Kaisa)という名のハクガン。
スタニスラウス・グラマン(Stanislaus Grumman)
北方の探索中に行方不明になった探検者。
ロジャー・パースロー(Roger Parslow)
ライラの親友で、ジョーダン学寮の厨房下働きの少年。
ジョン・ファー(John Faa)
ジプシャンの統領。
ファーダー・コーラム(Farder Coram)
ジプシャンの賢者。かつてセラフィナと恋仲だったことがある。ダイモンは、美しい毛色をしたネコ。
マ・コスタ(Ma Costa)
ジプシャンで、ライラの乳母。
イオファー・ラクニソン(Iofur Raknison)
スバールバルのクマの王。イオレクを追放し、王位に就いた。人間のように振舞うことを好み、自らのダイモンを欲している。
メアリー・マローン博士(Dr Mary Malone)
ウィルの世界に住む学者。シャドー粒子の研究を行っていた。
カルロ・ボーリアル卿 / チャールズ・ラトロム卿(Lord Carlo Boreal / Sir Charles Latrom)
コールター夫人の愛人。別世界へ続く窓を見つけ、並行世界を行き来するようになる。ライラの世界ではボーリアル卿、ウィルの世界ではチャールズ卿を名乗っていた。ダイモンはヘビ。
ルタ・スカジ(Ruta Skadi)
魔女の女王。かつてアスリエル卿と恋仲だったことがある。ダイモンはセルジ(Sergi)という名のオガワコマドリ。
オーソリティ(The Authority)
「創造神」を自称する最初に誕生した天使。
メタトロン(Metatron)
オーソリティの摂政である天使。元はエノクという名の人間だった。
バルサモス(Balthamos)
オーソリティに反旗を翻した天使の一人。バルクと愛し合っている。
バルク(Baruch)
オーソリティに反旗を翻した天使の一人。元は人間で、エノクの弟だった。
ローク卿(Lord Roke)
ガリベスピアンで、アスリエル卿の偵察部隊の隊長。
シュバリエ・ティアリス(Chevalier Tialys)
アスリエル卿の部下で、ガリベスピアンの偵察部隊の一人。
レディ・サルマキア(Lady Salmakia)
アスリエル卿の部下で、ガリベスピアンの偵察部隊の一人。
オグンウェ王(King Ogunwe)
アスリエル卿の軍に参加したアフリカの王。
ザファニア(Xaphania)
かつてオーソリティの真実に気づき反旗を翻した天使。アスリエル卿に協力する。
テウクロス・バシレイデス(Teukros Basilides)
アスリエル卿の味方についた学者。真理計を読むことが出来る。
ヒュー・マクフェイル(Hugh MacPahil)
規律監督法院の院長。
フラ・パベル(Fra Pavel)
規律監督法院に所属する聖職者。真理計を読むことが出来る。ダイモンはカエル。
ゴメス神父(Father Gomez)
規律監督法院の中で最年少の神父。ダイモンは虫。
アタル(Atal)
メアリーの親友であるザリフ。
アーマ(Ama)
牛飼いの娘。ライラを助けるためにウィルに協力する。ダイモンの名前はクーラン(Kulang)。
ハーピー(Harpy)
死者の国に住む魔物。ハーピーというのはあくまでウィルが見た目から勝手に名づけたもので、本来の名前はない。