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恐らく最も有名な例

恐らく最も有名な例が、韓国人が主張する、剣道、剣術、侍、武士道の韓国起源説である。
剣道は日韓併合時代に日本から韓国に伝わった日本文化であり、韓国ではテコンドーと並ぶ人気武道である。日本の剣道との差は蹲踞(そんきょ)がないことや袴の色や形程度のものなのであるが、韓国最大の剣道団体である『大韓剣道會(Korean Kumdo Association)』や『世界剣道協会(World Kumdo Association)』がその公式ホームページ等で、剣道の起源が韓国にあると主張しており[36]、『国際剣道連盟(International Kendo Federation)』に参加していながらも、その正式名称は『剣道』ではなく剣道の朝鮮語音の『コムド(kumdo)』であると主張し、剣道の真の宗主国として当然であると主張している[37]。この剣道韓国起源説はインターネットの発展に伴い日本のネット社会の中で爆発的に広まるようになり、反論するサイトや『全日本剣道連盟』に反論を呼びかる運動が広まり[38][39]、全日本剣道連盟がその公式ホームページにおいてわざわざ否定する文章を掲載しなければならないまでに普及した[40]。海外では『剣道』と『コムド』の「他流試合」が行われることもあるほど、このような主張が普及している。

また、韓国系移民が中心となり、米国を始めとした世界各国で『コムド』道場を開き、古代から伝わる韓国の武道として積極的に広報活動をしている。このような道場では、日本の袴や日本刀を用いて、日本の剣術やそれを改変したものを「韓国古来の武術」(korean martial arts)として『コムド』と同時に教えている場合もある。(例:Sung Moo Kwan Kendo Academy 聖武館剣道アカデミー、アイオワ大学コムドクラブ等 )。

一方、『大韓剣道會』と対立する『世界海東コムド連盟(World Haidong Gumdo Federation)』[41]や『統合世界海東コムド連盟(United World Haedong Kumdo Federation)』[42]は、『海東コムド(Haidong Gumdo)』が剣道の起源であると主張している。彼らは、侍や武士道の起源は高句麗の「士武郎(サムラン)」にあると主張しているが、韓国内で裁判が行われた結果、士武郎起源説は捏造であったことが発覚している[43]。

2001年に日韓合作で、侍の起源を百済に求める映画『サウラビ』(朝鮮語で「ssaul-abi(戦う男)」を意味する)が製作され、韓国で公開された[44]。朝鮮日報は映画『サウラビ』を「三国時代、百済人が日本を開拓して文物伝播した歴史的事実を土台に、サウラビの魂が日本の侍精神に発展したという前提が込められている」と、侍の韓国起源説を歴史的事実として紹介した[45][46]。また、本作の制作発表会においてムン・ジョングム監督は「韓民族の魂と精神を再照明し、韓国人が忘れていた民族の優越性と民族意識を覚醒させることに焦点を合わせる」と発言をし、「侍」という日本文化を剽窃するばかりでなく、韓国文化の優越性にまで言及した[47]。なお、日本ではそのあまりにでたらめな歴史描写のために劇場公開はされなかった(DVD化のみされた)。ちなみに侍の正しい語源は日本語の動詞「サブラフ」である。

また在米韓国系移民たちを中心とした別のグループが、「新羅の『花郎(ファラン・Hwarang)』は1800年前から存在した古代韓国の戦士であり、この戦士が使った武術を『花郎道・ファランド・Hwa Rang Do』である」と主張して、道場を開いて、日本の伝統武術を改変したものを「古来韓国武術」として教えている[48]。彼らは「すべての日本の武術の起源は朝鮮半島にある」と主張をし、その主張に沿った武術の系譜を公開しているThe Lineage of The Korean Martial Arts 。

しかし、侍というのは、律令制が崩壊した10世紀以降に、新式の武芸を身につけて領地経営者や軍事専門家として活躍し始めた軍事貴族や下級役人等が発祥であり、12世紀以降に幕府という軍事政権を開いて封建制により日本を支配した戦士階級の「武士」のことである。一方、朝鮮半島には封建制は存在せず、律令官制の中で訓練を受けた常勤の役人の「武官」や「武人」はいても、侍のような「武士」は存在せず、侍は明確に日本社会でのみ発生したものである。「武術」は、この封建時代の侍の存在から誕生したものであり、剣道などの「武道」は近代になってから「武術」を心身教育のために一般化したものである。日本の武術や武道の発祥についてはほとんど記録が残っている一方で、侍や武術の韓国起源説の根拠となる文献記録や考古学記録は一切存在せず、花郎が軍事組織だったという説も完全に否定されている。また現代の韓国の武道家が使用する衣服や刀や作法も、すべて日韓併合以降に日本の武道を模倣したものである。

日本刀 韓国系移民が運営する世界各地の武術(道場などで韓国古来の剣として使用している。また、刀剣職人のホン・ソッキョンらが、「日本刀はまさにこの技術を我が国から盗み出して伝承している」、「我が国の刀剣技術は三国時代と朝鮮時代、日帝時代を経ながら、刀剣職人がほとんど日本に連行されてしまった」、「元々、我が国の伝統刀剣製作技術は世界的なものであり、刀剣技術者を無差別に捕えて連れ行ったことはよく知られた事実だ」、「日本には我が国が使った正統技術がそのまま伝授されていて、今でも良い刀がたくさん出てきています。たまに、韓日交流剣道大会に出てみると、試し切りの演武では我々の刀がはるかによく切れます。」などと主張。「韓国刀の原型を取り戻すために日本に学びにいく」とまで主張している[49]。
しかし、韓国で伝統的に使われた剣は、鉄鉱石から鋳造で作った、両刃の直剣か「環刀」と呼ばれる片刃の直刀で、製造方法も形状も日本刀とは全く異なる。韓国で大々的に日本刀のような形をした刀が使われるようになったのは、17世紀秀吉の朝鮮出兵以降のことであり、当初は日本刀を輸入して模倣したものを「倭刀」と呼んでいた。またそれ以降朝鮮半島で作られた刀も日本刀と製作方法が完全に異なっている。韓国の歴史映画やドラマなどで日本刀のような刀が登場することがあるが時代考証としては完全に間違いである。

現在世界中で知られている「日本刀」は、砂鉄からたたら吹きにより取り出した玉鋼を鍛造して作った、緩い湾曲の形状を持つものであり、10世紀の平安時代後期に「太刀」で初めて出現したものである。なお刀工の各流派が出現し始めたのもこの頃である。また、現在の剣術家が使用する刃を上に向けて納刀する「打刀」の形式は15世紀の室町時代後期になって普及し始めたものである[50]。ちなみに、日本刀の持つ美術的、戦闘的に優れた資質は、11世紀の北宋の詩人の欧陽修の『日本刀歌』でも歌われていて、中国にも輸出されている。

倭刀および韓国刀も

居合道
抜刀術 韓国古代の武術「Guhapdo」として世界各地で道場を開いて広報活動をしている。正統武芸道場 正気館のイム・ヒョンス(林鉉洙)が「我々はいままで多くの物を日本に奪われました。今は我々の物を取り戻すべき時だと思います。居合道も高麗時代日本に渡っていった我々の剣術に過ぎません 我が国には新羅時代の花郎徒以前にも居合道という武術がありました。日本が国宝にしている七支刀も実際は百済の刀です。」と主張している[51]。
しかし、居合(抜刀術)は室町時代に本格的に体系化されたものであり、居合道は明治時代末期になってから「武術」を「武道」化したものである。七支刀は儀礼用のものであり剣術とは関係がない。

柔道 剣道と同じように日韓併合時代に日本から韓国に伝わった日本文化であるが、Yudo(「ユド」と発音。柔道の朝鮮語音)の名で海外で普及活動が行われており、全米ユド協会(United States Yudo Association)はその公式ホームページにおいて、柔道の起源を朝鮮半島にあるとし、「柔道は豊臣秀吉の朝鮮出兵で日本に伝わりその後朝鮮半島では柔道は廃れ、20世紀になって日本から再輸入された」と主張している[52]。また、韓国の釜山で開催された2002年アジア競技大会では、韓国人で構成される大会組織委員会が、公式サイトに韓・日・中・英の4ヶ国語で「柔道の起源は中国の春秋時代に生まれた柔術で、これが韓国に伝わり、豊臣秀吉の朝鮮出兵で日本に伝わった」と記述し、全日本柔道連盟が抗議し記述を削除させる事態が発生している[53]。さらにアテネオリンピックの柔道73キロ級金メダリストである李元熹(イ・ウォンヒ)選手は韓国の京郷新聞のインタビューに答えて、「日本が柔道宗主国だと言いますが、本当は我が国の柔術(ユスル)を日本で細分化させてスポーツにしたんです。」と発言をし、韓国人有名柔道選手までもが韓国起源説を支持している[54]。
しかし、実際には柔道の基である柔術の発祥は秀吉の朝鮮出兵よりも前に遡ることが出来、柔道は嘉納治五郎により創設されたものである。このような柔道韓国起源説に対して全柔連教育普及委員長、講道館資料館部長は否定コメントを出している[55]。

合気道
大東流合気柔術 正統武芸道場 正気館が「合気道は日本に移民した新羅人であるウォン・ウイグァン、別名新羅三郎(源義光)が興した大東流柔術が始まり」と主張している[56][57][58]。また、世界ハプキドー協会は「現代合気道(ハプキドー)のような武道技術はAD372年の高句麗への仏教の伝来と共に古代朝鮮に伝えられた。その証拠はその時期の古代壁画及び洞窟絵画、彫刻から見出すことができる」と主張し(韓国起源説では、古代壁画を持ち出して起源主張するものが多い)、これらの朝鮮武道で文禄・慶長の役の時に日本兵を撃退したと主張している。さらに、もともと朝鮮半島にあった合気道は日本の植民地統治時代に抹殺された等と主張している[59][60]。また、米国などでがHwa Rang Do道場を運営している韓国系移民が、「日本へ移民した新羅人である新羅三郎(源義光)が創めた大東流柔術は、その末裔である武田惣角まで伝えられ、彼が日韓併合時代に崔龍述(チェ・ヨンス)に伝授したことにより、大東流柔術が復活をし、ファランド(Hwa Rang Do)等と混じってハプキドーに発展した。つまり合気道とハプキドーは兄弟の関係である。」と主張している[61]。さらに、「合気道」という名称は崔またはその弟子の池漢載が創案したと主張している。
ハプキドーも参照

しかし、始祖とされている源義光は11世紀の日本の武士で、4世紀から7世紀に存在した新羅の人物ではない。新羅神社で元服したから「新羅三郎」を名乗ったのであって「ウォン・ウイグァン」は源義光の朝鮮読みであり、大東流合気柔術は明確に日本で発祥したものである。また、「合気道」の語源は、大東流の教授代理で合気道の創始者である植芝盛平が出口王仁三郎の命名により1922年頃から自らの武術を「合気武道」と呼称し内外に教授し始めたのが始まりである。さらに、「合気道」は1942年に財団法人大日本武徳会が使い始めたものであり、植芝が「合気道」を使い始めたのは1948年である。

ハプキドーは、戦前に日本で大東流を修行をしていた朝鮮人の崔龍述(チェ・ヨンス)が、戦後に大東流を朝鮮古来の武術であると主張して指導を開始したのが始まりであり、崔の弟子が大東流を韓国人の気質に合わせて改変して現在のハプキドーの形にさせたものである。これを裏付ける事実として、大東流関係者に対する各種インタビューなどで戦前の大東流の修行者に複数の朝鮮人青年がいたことが明らかにされている。

道の精神 大韓柔道有段者会のヨ・サンファン会長が「柔道の発祥地は日本だが、『道』の精神は韓国から渡ったもの」と主張している[62]。
しかし日本の「道」とは「芸道」のことであり、中国の「道」(タオ)の哲学とは別物である。日本の「道」の精神とは、実演者の日常生活における立ち居振る舞いと、専門的な技術的修練を同一とみなし、双方の向上により、実演者の人格と技芸を相乗効果的に高めることを目指したものであり、日本独自に発展体系化したものである。日本の「道」の精神は、中世期の秘伝説と伝授思想の確立と、師系を重んじる禅の発想に影響を受けているともいわれている。剣道、柔道、合気道、茶道、華道、香道、書道のほか、「道」の文字の付かない能楽、歌舞伎、人形浄瑠璃、邦楽でも同じ観念が見られる。

空手 韓国では、テコンドーの起源は三国時代以前から始まるテッキョンであると公式に認定されており、海外でも「韓国古来の武道」として普及に努めている。また、日韓併合時代にテッキョンが抹殺されたが、韓国がテコンドーとして復活させたとまで主張している[63]。さらに韓国の一部には空手の起源をテッキョンに求める言説すらあり、韓国の釜山で開催された2002年アジア競技大会では、韓国人で構成される大会組織委員会が、公式サイトに韓・日・中・英の4ヶ国語で「空手の起源はインドで唐の時代に中国と韓国に伝わり、その後韓国が日本に伝えた」と記述し日本側が抗議するという事態が発生した。日本側の抗議に対し同時に記述された「柔道韓国起源説」は削除されたが「空手韓国起源説」は結局削除されることはなかった。[64]。
しかし、空手は琉球から日本本土に伝わったもので、テコンドーは戦後に空手を参考にして新たに作られたものである。また、韓国が国技院副院長が明らかにしたところによると、「テコンドーの起源を三国時代以前とすることが一般的だが、 歴史的想像力を動員してもそれには無理がある。中国から日本へ入り、日本が改良して韓国へ入ってきた。テコンドーは空手の変形である。私も創始期にはテコンドーの起源をテッキョンとして本を執筆したことがあるが、海外に普及させる過程で昔からあった韓国の伝統武術だとすれば名分が立つからである。」と告白している。 更にこの記事では「空手から派生したテコンドーだが、蹴りを主眼に置いて競技化したことで、型や手動作に重きを置いた空手の陰から脱した」とも述べている[65]。

相撲 中央日報が、日韓文化交流を紹介する中で、韓国シルム連盟関係幹部の「日本相撲協会は相撲の本流である韓国シルムへの待遇がなっていない」との心境を紹介し、相撲の起源をシルムとして紹介した。
コムドと違い、シルムは日本の相撲から発生したものではないが、日本の相撲の起源という証拠はない[66]。(中央日報、2004年2月16日)また、歴史書である三国史記・三国遺事・高麗史・高麗史堤綱・高麗史節要・朝鮮王朝実録の原文には、シルムに関する記載が無い[要出典]。

忍術
忍者 韓国系移民がイタリアで運営する「スルサ道場」が、新羅軍の「花郎」の中にある特殊部隊「スルサ」が忍者の起源であると主張している。この中で「幾人かのスルサ戦士が日本に亡命し、日本の忍者の理論にアイデアを提供した」「スルサドーを含むすべての韓国マーシャルアーツに見られる瞑想テクニックは、日本の忍術の秘技のなかに残っている。」「日本のマーシャルアーツは太平洋戦争でいち早く有名になっただけ」と主張している[67]。また、ファッション評論家の金硝子が、人気アニメ「美少女戦士セーラームーン」の話題の中で、日本の創作話の中に「変身」が多く登場することに言及し、日本人が頻繁に「変身」を創作話の中でモチーフにするのは、11世紀から18世紀にかけて日本で盛んであった忍術に起源があると主張し、さらにその忍術は、7世紀に高句麗を通じて日本に伝わったものであり、日韓両国でセーラームーンが人気があるのは、この歴史的な背景によるものであると主張している[68]。
茶道 韓国の複数の茶道家が、日本の茶道の道具や作法を模倣して朝鮮風にアレンジしたものを韓国茶道として世界中に紹介している[69][70]。また朝鮮新報は「茶においては1千年前の新羅の時代の礼法がほとんどそのまま日本に取り入れられた」とまで主張している[71]。
茶を飲む習慣は遣唐使により中国から伝えられたものという説が有力であり、茶を飲む行為を哲学や教養や総合芸術にまで高めた茶道という文化は室町時代に体系化した日本起源のものであり、韓国の「茶禮(タレ)」とは全く関係がない。

華道 ヤフーコリアが「生け花」の項目で、朝鮮半島には土着文化の一形式として原始的生け花が存在し、仏教伝来と同時に生け花の一様式が百済に伝来し、それが日本に伝わり、その後朝鮮半島独自の生け花は日帝(日本による朝鮮半島支配)により抹殺されと主張している[72]。
花を愛でる行為は有史以前からある人類共有の行為であり、生け花は室町時代に日本で本格的に体系化したものでる。「朝鮮半島の原始的生け花」「日帝による抹殺」という主張も文献資料や考古学資料による裏づけが一切存在しなく根拠不明。

万葉集
万葉仮名 李寧煕(イ・ヨンヒ)なる人物が、「もう一つの万葉集」(ISBN 4163435603)なる本を出版し主張している。また韓国の東亜日報においては、「7世紀頃の万葉仮名は元々古代韓国で使われたものだったのみならず韓半島から帰化した人々によって考案された。このかな文字は後に韓国では消えた。」[73]と主張をしているが、その主張を裏付ける歴史的根拠は不明である。
万葉集は複数の編者によって編纂され、最終的に大伴家持が完成させたものである。

片仮名 鄭ジェヨン・韓国技術教育大学教授と小林芳規(こばやし・よしのり)広島大学名誉教授の共同研究によると片仮名は新羅の口訣が起源であり、東大寺諷誦文稿にそれを見ることができるという。[74]
東洲斎写楽 李寧煕(イ・ヨンヒ)なる人物が、「もうひとりの写楽―海を渡ってきた李朝絵師」(ISBN 4309902774)なる本を出版し、写楽は朝鮮通信使だった。そして、十返舎一九の父親もまた李朝の高官だった、などと主張している。また、韓国では檀園・金弘道と写楽が同一人物であるという説もある。映画化の話も持ち上がっている[75]。
源義経がチンギス・ハーンだというのと同じ程度の主張。斎藤十郎兵衛が写楽であるという説が最も有力である。

和歌 韓国で唯一の和歌詩人の孫戸妍が「和歌は新羅(シルラ)の郷歌が起源」と主張している。[76]。主張を裏付ける文献資料も存在せず根拠不明。
折り紙 一部の在米韓国人の女性グループが「折り紙はもともと韓国(朝鮮)で作り出されたもので、日韓統治時代に日本人が自分たちの文化と偽って世界に広めた」と主張し、現地で折り紙教室を開いている[77]。また、社団法人韓国折り紙協会は、起源については明確に言及しないものの、「日本の植民地時代に日本は韓国の文化を全面的に抹殺し、韓国の伝統的折り紙文化も排斥した。」と主張し、日本とは別の折り紙文化が朝鮮半島に存在したと主張している[78]。また協会では検定制度により指導師を養成し、さらに、日本の折り紙を模倣したものを「韓国の伝統的折り紙」と称して世界各地で宣伝し普及活動をしている[79]。
しかし、朝鮮半島には儒教祭祀で使われる折った紙の造形物は存在したが、日本のような多種多様な対象物を紙で折る「遊び」の折り紙文化は存在せず、祭祀で使われる造形物の様式も日本の伝統的折り紙とは全く異なるものであり、これらの主張はあきらかに事実無根である。

歌舞伎 朝鮮日報が百済技楽の復原運動を紹介する記事の中で歌舞伎の起源を百済技楽としている[80]。またその復原運動を紹介した記事の2年後の2008年には、「百済文化の優秀性を知らせるため」として、百済伎楽伝承保存会が、パリで行われる在仏韓国人会主催の『2008中秋祭』で公演を行うことになり、ロンドンでもユーロジャーナル社主催で百済伎楽が披露されることになった。百済伎楽伝承保存会は「百済伎楽は西紀612年(百済武王13年)百済人ミマジによって日本の聖徳太子に伝えられた後、日本の舞楽、歌舞伎等の母胎となった」、「アジア仮面劇の源流は日本と思っている大部分の在欧韓人と欧州人たちに仮面劇の母胎が百済時代に起因したものだということを知らせる。」と主張している[81]。
しかし、いまだに百済技楽自体の詳細は全く不明であり公演されるものも現代の創作仮面劇である。7世紀に滅びた百済の全く詳細が不明な伎楽と、17世紀に発祥し隆盛を極めた江戸時代の文化である歌舞伎とを結び付けて起源を考えるのは無理がある。

祭り
神輿
わっしょい
葦原中国
至る 京日大総長の李南教が、日本の祭りの起源は、渡来人が死を覚悟した航海の後に日本の大阪近辺に無事たどり着いた喜びを皆で共有するために行った儀式の「団地里」が始まりであると主張している。また、日本の祭りの掛け声の「わっしょい」の起源は、無事にたどり着いたという歓喜の声を表した「来た」という意味の韓国語「ワッソ」であり、神輿の起源も「死の航海を超えやってきた」ことから韓国で棺として使った「喪輿」であり、これが無事にたどり着いた喜びの「神輿」に変化したものであると主張している。さらに古代日本を指す葦原中国(あしばらのなかつくに)という呼称の語源も古代韓国語であると主張しており、葦(あし)は、日本語の始まりの音である「あ」と古代韓国語の「セ」(新しい)を組み合わせたあとにあセ⇒あシと変化したもので、原(ばら)は韓国語の「ポル」(原野)から変化したもので「葦原」とは渡来人が到達した「新しい原野」の意味であると主張している。さらに「死を覚悟して到着すること」を純粋な韓国語では「イルダ」というが古代語では「イダル」であり、これが日本語の「至る」となったと主張している[82]。
また、金達寿や金思燁(キムサヨプ)らの複数の在日韓国朝鮮人や韓国人が、祭りのかけ声の「わっしょい」や「祭り」の語源が、百済との交流によりもたらされた古代韓国語の「来た」という意味の「ワッソ」や「マトゥリ」であると主張している[83][84]。これに関連して、在日韓国人らが「古代に先進文物を授けた朝鮮民族とそれを受けた倭人」という図式で、「四天王寺ワッソ」という祭りや「ハナ・マトゥリ」というイベントを開催している[85][86]。

しかし、日本の祭りはあらゆる自然に対する畏敬の念を表し豊穣を祈願したアニミズム、シャーマニズム的要素を持つ神道が起源であり、これに神仏習合の影響を受けて派生して現在知られるような多様な形になったものである。また神輿についても狩猟採集物を備えた祭壇が起源であり、これが農耕の発展により固定化し神社となったという説が一般的である。

また「왔소(ワッソ)」は「오다(オダ)(来る)」という動詞の語幹「오-(オ‐)」に、過去を表す先語末語尾「-았-(‐アッ‐)」と終結語尾「-소(‐ソ)」が連結された形態であり、過去を表す先語末語尾「-았-(‐アッ‐)~-었-(‐オッ‐)」が現れたのは16世紀頃であることから、古代韓国語説の信憑性は皆無である[87][88]。「我背負う」「和を背負う」が転じて「わっしょい」になったという説がある。「だんじり」も「屋台」や祭壇を意味する「壇」を引きずることから「台ずり」「台にじり」「壇ずり」から変化したという説や、山車(だし)が一部方言化したという説、「台尻討った」が起源であるという説などがあり[89]古代韓国語が起源であるという信憑性は皆無である。

そもそも、古代韓国語は全く解明されていなく李南教や金達寿の主張は単なる言葉遊びに等しく科学的根拠は全くない。

神社 世界日報と中央日報が、「日本の神社が古代朝鮮半島の直接的影響を受けて作られ、日本人は今も韓国の神を祭っている」「日本の神社の多くが韓国起源」と主張。高麗神社や飛鳥戸神社といった渡来人を祭っている神社を根拠に神社そのものが朝鮮半島起源であると拡大解釈している [90][91]。
熊本城 日韓交流事業に参加した韓国人学生が 「熊本城は加藤清正の命令で蔚山倭城の築城技術を持った朝鮮人技術者が築城した」と歴史教育を受けていると発言した。日本側にはそのような記録は一切なく根拠不明。韓国の一般学生がこの説に基づいた教育を受けたと証言していることから、ある程度韓国内で信じられている韓国起源説と思われる

約束の橋 チーム 赤ずきん リコニー エジンバラ さくもん コモドド モスリン べにえび エンジン オーリ センデ ジーピー シーアイ マンサク ジュエリー トニック チューナー マンデート シャン だいろ 一千一秒 大人の生活 スキーム エイハラ スラロー ロータリー ティズム シンボル オヤマ ファシリ センタ テラコッタ センシ ツール モチーフ ギョリュ モジュ 中仙道 ひわき ジャッカル ケミストリー ローズウッド トークン 一字千金 地上の星 キャップ リーフ マナスル オーソラ

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2009年04月15日 10:54に投稿されたエントリーのページです。

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